SPnet私服保安入門


        

(6)誰でも経験する不思議「最後になって犯人が消える」

 




ここで、中断に関係する「不思議体験」を紹介しよう。

新人私服保安が一度は経験するものである。


事例11.オバサンが消えた!


私の新人の頃である。その日は担当店とは別の店に入っていた。


17時頃、気分転換に食品売場を回る。まあまあの入りだ。

農産(野菜・果物売場)で50歳くらいのオバサンを見かけた。

カートを止めて同年代くらいの女性と立ち話をしている。

“普通の近所のオバサン”だ。


・不審な点


私はオバサンのカートを見た。

下段に10kg米袋×2が無造作に積まれている。

「一般家庭で2袋も買うかな?」


カート上段のカゴを見た。

カゴの中は9分くらい詰まっている。

しかし、カゴの中の商品がギッシリと横にして詰めてある。


「?」


『“食品カゴ抜け”は商品を縦にしてギッシリと並べて詰める。』と言われている。

この点を説明しよう。


カゴの中の商品は、レジをするときにカゴから取り出される。

客がカゴの中の商品をきれいに詰めても無駄になる。

普通の客ならそんなことはしない。

「きれいに詰めている」のは「レジに行かないこと」を前提にしているからだ。


もちろん、カゴの中で肉や魚と他の食品を区別することがある。

肉・魚パックから汁が流れだしたり、臭いが移ったりすることを避けるためだ。

しかし、「きれいに整理する」ことはしない。

「きれいに整理して詰める」のは、カゴの中にできるだけ多くの食品を詰めるためだ。

これらのことから、「万引き発見」の端緒(たんしょ)とされている。


ここで、「縦にして詰める」とは「本棚の本のように、商品を立てて詰める」ことである。

「横にして詰める」とは「机の上に本を積み上げるようにして詰める」ことである。

縦にして詰めた方が、カゴに商品をたくさん詰めることができる。


オバサンは商品を横にして詰めていたが、「きれいにギッシリと詰めている」ことに変わりはない。

私はオバサンを観察することにした。


オバサンは立ち話を終え、農産から次の商品列に入った。

そこでまた別の知り合いと立ち話を始めた。

「主婦は夕方で忙しいだろうに…。」

私は疑いを強めた。


前にも触れたが、万引き犯は「自分の盗ろうとしている気持ち」を悟られないように振る舞う。

独り言を言う・売場係員に話しかける・はしゃぐ・ケイタイで話しをする。

私服保安に話しかけてくる者もいる。

このように「普通の客と違った様子」を見せると私服保安に怪しまれてしまう。

万引きの皆様、ご注意を…。


・現認


話を戻そう。

私はオバサンの手口を推測した。

・オバサンの持っているのは小さいバッグだけ。
・このバッグにカート内の商品をすべて詰めることはできない。
・しかも米2袋がある。

手口は“カゴ抜け”だろう。

しかし、私は何も現認していない。
オバサンがこのまま出ていっても捕まえることはできない。


オバサンは立ち話を終えて、カートを押して歩き始めた。

私は後を歩きながら、「何か棚取りしてよ!」と心の中で手を合わす。

私の心の叫びが聞こえたのか、オバサンは「ウーロン茶の赤箱」2個をカゴに入れた。

これで一安心。


オバサンがカートを押して、ペットボトル棚とドッグフード棚の間の通路に入った。

私は手前の通路に入る。

私とオバサンはドッグフード棚を挟んで両側にいる。

ドッグフードの隙間から、オバサンとカートが目の前に見える。


オバサンの所へ、30歳位の女性がカートを押してやってきた。

女性は娘のようだ。


オバサンは娘のカートの中から商品を2~3点選び、自分のカートに載せた。

私が現認したウーロン茶の赤箱×2はオバサンのカートに入っている。

米10㎏×2もカート下段にある。


オバサンは自分のカートの上に肩から掛けていたバッグを置いた。

そして、自分の着ていた上着を脱いで、その上からかぶせた。

カゴ抜け準備が整ったようだ。


あとは、オバサンを見失わなければよい。

現認した赤箱ウーロン茶が捨てられなければよい。

私はニンマリとした。


・予測


・この店の食品売場出口は二つ。
  向かって右が農産側出口、左がパン側出口。
・オバサンの現在の場所から、ペットボトル棚を一つ越えればパン売場である。
・オバサンはパン売場に出て、パン側出口から食品売場を出るのだろう。

では、どのようにしてパン売場に出るのだろうか?
パン売場に出るためには、ペットボトル棚を越えなければならない。

・レジに近付いてレジ列前通路に出て越えるのか?
・それとも、レジから遠ざかり食品中央通路に出て越えるのか?

いま、オバサンはレジ列前通路のすぐそばにいる。

私は「万引き犯がレジに近づくはずはない。彼女はレジから遠ざかり食品中央通路に出てペットボトル棚を越える。」と判断した。


・消えた


オバサンのカートが動き出した。

私はドッグフード棚に沿ってレジに近づき、ドッグフード棚を越えて彼女のいた通路を見た。

レジ列に背を向けて売場の奥へカートを押していくオバサンの背後に回ったのである。

しかし、彼女はいなかった。


オバサンが中央通路へ出るまでには10m弱。

私が移動に使った時間は2~3秒。

彼女の背中が見えて当然である。


「走ったのか!」

私はレジ列前通路からペットボトル棚を越えてパン売場に入った。

オバサンがカートを押してこちらに向かってくるはずである。

しかし、パン売場にも彼女はいなかった。


食品売場でカゴ抜けを見失った場合にはやり方がある。

・まず、レジ列を見る。
・レジに並んでいないことを確認し、レジ側から売場の奥へと捜していく。

最初に「レジを見る」のは、「犯人が支払っていない」のを確認するためだ。
見失った犯人を捜している間に、犯人がレジで支払う場合がある。
※というよりは、その人は万引き犯(カゴ抜け)ではなく普通の客だったのである。


どのレジも4~5人が並んでいた。

オバサンはレジに並んでいなかった。

彼女はレジ清算を済ませていない。

まだ食品売場にいるはずだ。


私は心を落ち着けて、売場の奥へとオバサンを捜した。

しかし、彼女はいなかった。

オバサンは消えてしまった。


私は諦めきれなかった。

そこで、パン売場の奥にある酒売場から、食品売場のパン側出口とレジ列を見ていた。

オバサンを見失ってから2~3分が経っている。

完全な中断である。

もし、オバサンがカートを押してそのまま出ていっても捕まえることはできない。


そのとき私はオバサンを見つけた。

なんと、彼女はパン側出口から食品売場に入ってきたのだ。

オバサンは手ぶらである。

カートも押していないし、バッグも持っていない。上着も着ていない。


ふとレジ列を見ると、娘がカートを押してレジに並んでいる。

娘のカートには数点の商品が入っているだけだ。

オバサンのカートに載っていた「米もウーロン茶もたくさんの商品も」なかった。

そして、オバサンのバッグも、かぶせた上着も…。


「オバサンはカゴ抜けして、自分のカートに載せてあったものを車に積んできたのか!」

私の負けである。


・第2ラウンド


娘はレジを済ませ、買った商品をサッカー台で二つのレジ袋に詰めている。

オバサンが娘に近づき何やら話しをしている。

娘が「商品の入った袋」の一方をオバサンに渡した。
そして、もう一つを自分のカートに載せた。


オバサンは娘から渡された一袋を持ってカート置き場に行った。
そして、空のカートを一台取り出し、その一袋をカートに載せた。

オバサンと娘がそれぞれカートを押して、再び食品売場に入ってきた。

第2ラウンドが始まったのだ。


二人がこれから何をするのだろうか?

皆様も推測してほしい。

その通り!


二人はもう一度商品をカートに載せてカゴ抜けする。

・二人ともレジ袋に入れた商品をカートに載せている。
・そのカートに別の商品を載せていっても、誰も盗ったとは思わない。


しかし、もう一つの場合が考えられる。


・オバサンは最初のカゴ抜けをまだやっていない。
・「米2袋等を載せたカート」は食品売場のどこかにそのまま置いてある。
・そのカートの所へ行き、娘から渡された「支払い済み商品の入ったレジ袋」を載せてカゴ抜けをする。
・もちろん、おばさんの押してきたカートは放置していく。


どちらにせよ、「まだ盗るつもり」である。

私は二人を追った。


二人は農産の方へ向かい、紙おむつの通路に入った。

オバサンが「紙おむつ大袋×2」を自分のカートに載せた。

そして、その上に「支払い済み商品の入ったレジ袋」を乗せた。

娘は「紙おむつ小袋」を一つ手に取った。


娘がこの小袋を支払い、オバサンが大袋×2をカゴ抜けするのだろう。


しかし、このとき私はオバサンに気づかれてしまった。


オバサンは娘に何かを話し、カートに載せていた「紙おむつ大袋×2」を元の棚に戻した。

娘はレジに行って、紙おむつ小袋を支払った。

二人はしきりに私の方を見ながら農産側出口から食品売場を出た。


そして、カートから商品を取り出し、エスカレーターで2Fへ上がっていった。

第2ラウンドは不発に終わった。


・消えた原因


私は「オバサンが最初のカゴ抜けをしたかどうか」を知りたかった。

そこで、食品売場に戻り、「米2袋等を載せたカート」を捜した。
しかし、どこにも放置されてはいなかった。

やはり、オバサンはカゴ抜けをしたのだ。


次に、私は「オバサンがなぜ消えたのか?」を考えた。

・彼女は「私の予測とは逆の動き」をしたのだろう。
・私は「彼女がレジから離れて奥へ進み、中央通路に出てパン売場に出る」と予測した。
・しかし、実際は「レジに近づき、レジ列前通路からパン売場に出た」のだろう。

それなら、私の移動している2~3秒でできるだろう。

私が「売場の奥へ向かう彼女の背中を見よう」と奥をのぞき込んでいるときに、オバサンは私の後ろでパン売場に出ようとしていたのだろう。

そのあと私はオバサンを見失ったことに気づき、レジ列前通路からペットボトル棚を越えてパン売場に入った。
しかし「彼女が奥からこちらへ向かってくる」と思い込んでいるので、パン売場の奥を見ていた。

そのときに、オバサンはパン側出口から出ていったのだろう。


・反省


「オバサンが消えた」のは魔法でもマジックでもない。

彼女は私に気づいてはいなかった。

わざと私の裏をかいたわけではない。


原因は私の「思い込み」にある。

私は「オバサンが奥へ進むもの」と決めつけていた。

そして、彼女のカートが動いたときに「どちらに動いたのか」を確認しなかった。
「動いた → 奥へ進んだ」と決めつけたのだ。

そして、後手に回ってしまった。


なぜそんな思い込みをしたのだろう。


平常心を失ったからである。

獲物が大きければ大きいほど、「捕まえなければ」と焦る。

検挙条件が確実になればなるほど、「捕まえられる」と安心する。

この「焦りと安心」が私の平常心をなくさせたのだ。


だから、「初心者私服保安が一度は経験する不思議」なのだろう。

場数を踏めば、どんなときでも平常心を保てるからである。


私はこの体験から「慌てずに犯人の飛ぶ方向を確認する。それから照準を合わせる。」ということを学んだ。


私は必ず研修生にこの話をする。

しかし、実際に失敗して悔しさを味合わなければ身につくことはない。

私は研修生に『君も必ず体験するから、お楽しみに。』と言っている。


つづく

 





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