SPnet私服保安入門


       
3.声かけしたら犯人を逃がすな

 




(1)現場はドラマとは違う


“万引き私服保安ドラマ”がTV放映されたことがある。

魅力的な女優さん演じる女性私服保安が、万引き犯を呼び止める。

『お客様…。何か、お忘れ物はございませんか…。』

憂いを秘めた美人女性が首をうなだれる。

『…。スイマセン…。つい…。』


実際の現場では、こんなことは滅多に起こらない。

ドラマと現実はまったく違うのである。

声かけ・逮捕の現場を再現してみよう。


・事例19.:『抵抗するな!』 引き倒してから声かけする


研修生のギャル私服保安Bから連絡が入る。

B『あのぅ…。いま、H&BC で男の人が女性化粧品をバッグに入れました…。』

私は H&BC に向かった。


この店はショッピングセンターの核店舗であり、専門店街とはっきりエリアが区別されている。

そして、1Fの専門店街出入口の両側に H&BC と婦人靴売場がある。

Bは婦人靴売場にいた。


私『どの男だ?』

B『あの三人です。』

女性化粧品棚の前に、25歳くらいの東洋系男性が三人いた。


手前の男は黒いバッグを持っている。

真ん中の男は何も持っていない。

一番奥の男は黒い布製の袋を肩にかけている。

彼らは「ワイワイ・ガヤガヤ」と楽しそうである。


私『三人の中のどの男が化粧品を入れたンだ?』

B『奥の男です。黒い袋を肩にかけています。』


研修生の現認は万引き逮捕の際にカウントされない。

指導私服保安が自分の目で現認しない以上検挙はしない。

私は彼らが楽しそうにしているので,「盗った」というのが少々疑問だった。

しかし、Bは冷静でしっかりと見ることができる研修生である。

私は暫く様子を見ることにした。


ここで、私はBを少々脅かしておいた。
『東洋系三人か…。チョット“やばい”なぁ…。』

外国人万引き犯の主流は南米系と東洋系である。

南米系は体が大きくて力が強いので、検挙には覚悟が必要だ。


しかし、注意しなければならないのは東洋系である。

それは、プロが混じっているからである。

「彼らは逃げない。いきなり、刃物で首筋に斬りつけてくる。」

これが私服保安の常識となっている。


三人は女性化粧品から離れて男性化粧品コーナーに移った。

そして、シェービングクリーム・T字シェーバーの棚に来た。

この棚は H&BC レジからは見えない。

しかし、我々のいる婦人靴コーナーとは通路を一つ挟んで真正面である。

私とBには彼らの行動が手に取るように分かる。


・現認


三人が商品棚の前にしゃがんだ。

そして、バッグを持っている男がバッグを床に置いて、その口を大きく拡げた。

真ん中にしゃがんでいる男が両手を伸ばし、棚に掛かっている「二枚刃交換式T字シェーバー」を一掴み取り、それをバッグの中に入れた。


私はBに警備室へ応援要請をさせた。

『専門店街出入口を出たところで、外国人を捕まえるから待機してほしい。
   制服警備員を見ると逃げ出すから、山河が犯人に声をかけるまで出てこないように。』と。


私はBが連絡している間も三人を見続けている。

彼らは楽しそうである。小声で話ながらはしゃいでいる。

真ん中の男が、さらにT字シェーバーを一掴み取ってバッグに入れた。
そして、また一掴み…。T字シェーバー棚は、その部分だけが空っぽになってしまった。

バッグ男がバッグのチャックを締め、三人は立ち上がった。

彼らはH&BCから通路に出た。

何やら話をしている。


そして、三人は二手に分かれた。

「T字シェーバー入りのバッグを持った男」と「手ぶらの男」が専門店街出入口の方へ、
「女性化粧品入りの袋を肩にかけた男」が食品売場の方へ。

追うのは、私が現認した「T字シェーバー」である。

「女性化粧品の男」はBに尾行させることにした。


・店外


二人がスーパーマーケットゾーンから専門店街に出た。

左側にある専門店街のスイングドアの向こうに「待機している警備員」の制服が見える。


私はその警備員に合図をしようとした。

しかし、その警備員はこちらに背中を向けているではないか!

二人はもう「10m」を越えている。


私は二人に小走りで近づいた。

そして、バッグを持っている男の肩を後から「トン、トン」と叩いた。

男が振り向く。

私は言った。

『保安係や…。』

男は体を硬直させた。


『抵抗するな!』

私は男の両肩を前から掴み、右足を男の両脚にかけて思いっきり男を後へ引っ張った。

男の体はきれいに一回転して床に落ちた。

目をまん丸くしている男に、私は上から顔を近づけて、もう一度自分の身分を告げた。

保安係じゃ!日本人をなめるなよ!


これからが一苦労だった。


私は学生時代の全部を空手で過ごしたが、それはいわゆる“寸止め空手”。

オリンピック競技になった「スピード・ポイント空手」より前の空手である。
「一撃必殺」を前提に、「直線的な突きと蹴りだけ」をひたすら鍛えるという古い空手である。
身についているのは「突き・蹴り・受け」だけ。

いま主流の総合格闘技や空道のにように、投げ,関節技がまったくできない

「男をうつ伏せにさせた」まではよいが、それから先が分からない。

男の右腕を背中にねじ上げようとするのだが、これがなかなかできない。

あちらこちらに動かすたびに男が痛がって叫ぶ。


やっと男の右腕をねじり上げた。

「やれやれ」と私が顔を上げると…。

たくさんの人が我々を取り囲んで見下ろしていた。

近くにBが恥ずかしそうに立っている。


ここで、やっと待機していた制服警備員が駆けつけた。


私は取り押さえた男を制服警備員に任せて、Bに尋ねた。

私『化粧品の男は?』

B『途中から走って逃げました。』

私『まあ一人捕まえたからいいか…。』


保安室で男にバッグの中味を出させる。

T字シェーバーが18個出てきた。

彼は日本語が分からない。事情聴取はさっぱり進まない。

警察官到着。


私は警察官に男を任せて、別の場所でBの書類作成をチェックする。

警察官の大声が聞こえてくる。苦労しているようだ。

Bの書類作成を終わったので、私は男と警察官の所に戻った。


机の上に“折り畳みナイフ”が置かれていた。

警察官が笑いながら私に言った。

『こいつのズボンの右ポケットから出てきたよ。山河さん、刺されなくてよかったねぇ~!』

男は警察官に連れられて行った。


後で、男たちの会社の責任者が通訳を伴って謝罪に来た。

私が捕まえた男と逃げた二人の男も一緒だった。

三人は海外研修生とのこと。

男の一人が盗って逃げた化粧品12点も持ってきた。

責任者がシェーバーと化粧品の全額を支払った。


B『あの男の人、抵抗したンですか?』

私『ん?…まあ…。抵抗しようとしたンだよ…。』


こんなことが度々ある訳ではない。

しかし、現場には現場のやり方がある。


つづく

 





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