SPnet私服保安入門
(2)犯人は必ず逃げる
「声かけ」して逃げないのは老人と主婦だけである。
他の者はとにかく逃げる。
脚が絡まって、つまずきながら逃げる。
転んでも、転んでも、起き上がってまた逃げる。
1mの柵なら簡単に飛び越えていく。
停めてあった原付に二人乗りして猛スピードで逃げていく。
犯人は必死である。
必死に逃げる者を捕まえられるはずがない。
逃げ出されたら、まず捕まらない。
私も数多くの犯人に逃げられたが、捕まえられたのは一人だけ。
その犯人は、逃げるときにアパートの鍵を落としたので取りに戻ったのだ。
こんな場合にしか捕まらない。
声かけは「犯人が逃げること」を充分に予測して行わなければならない。
犯人の前に回り込む。建物を背負わせて退路を塞ぐ。
商品の入ったカバンを掴んだり上着を掴んだりすると、“トカゲの尻尾”となる。
私は、背後から犯人の腕を自分の腕で「馴れ馴れしく」絡めて体を密着させる。
『あっ!中村君久しぶり!』と両手で握手し、
『ゴメン,ゴメン。人違いだった、君は中村君じゃなくて万引き君だった。』と言うのもよいかもしれない。
いろいろと工夫する必要がある。
(3)私服保安家訓「犯人の体に触れてはいけない」のウソ-逃がすともっと危険
『犯人を“声かけ・逮捕”するときには、犯人の体に触れてはいけない。』と指導する私服保安がいる。
私もそう指導された。
「ベテランは手の平から念力でも出せるのかな?」と不思議だった。
これは「私服保安のやり過ぎ」を防ぐためのものである。
犯人に怪我をさせたら、私服保安の責任だけではなく店の責任が問題となる。
犯人の体に触れなければ、犯人に怪我させることはない。
犯人に逃げられても、犯人に怪我をさせるよりましである。
しかし、私は「犯人を迅速に確保する」ことが一番必要だと思う。
事例19で、犯人がポケットからナイフを取り出して暴れ出したらどうなっただろうか?
周りの一般客に怪我をさせたかもしれない。
犯人が逃げるときに、一般客にぶつかったり突き飛ばしたりするかもしれない。
逃げた中学生が、「警察に捕まるかもしれない。」と家出するかもしれない。
そんなことになったら、店に与える損害は莫大なものとなる。
「犯人を逃がさないこと・犯人を迅速に確保すること」は「犯人に怪我をさせないこと」よりも重要なのである。
・認められている実力行使
法律上も「犯人の体に触れてはいけない」とされているのだろうか?
一般私人に法律で認められているのは「現行犯人を逮捕する」ことである。
「逮捕」とは「一時的な身体の拘束」である。
さらに、犯人を拘束するために使える実力は「一般私人は警察官が使う実力をある程度越えてもよい。」とされている。
「どの程度の実力行使が許されるか」は場合によって異なるだろう。
しかし、警察官でも犯人を捕まえるときは犯人の体に触れるのである。
一般人である我々が「犯人の体に触れてはいけない」はずがない。
「犯人の体に触れること」以上の実力行使も、
それが社会通念上「一般私人が万引き犯人の身柄を拘束するために必要な実力行使」と認められれば違法行為となることはない。
※逮捕するために認められる実力行使の程度(選任のための法律知識・第10講・行犯逮捕)
さらに、万引き犯人が抵抗した場合はより強い実力行使が許される。
それは「逮捕行為を維持するための実力行使」であり「逮捕行為の延長」だからである。
また、万引きは窃盗罪である(50万円以下の罰金or最低1カ月の懲役)が、
犯人が「捕まってたまるか!」とか「盗ったものを取り返されてたまるか!」と抵抗すると強盗罪となる。
この場合は、最低5年の懲役・相手に怪我をさせたら最低7年の懲役・相手を死なせたら無期懲役か死刑。
※事後強盗罪-万引きをして死刑になる場合がある(選任のための法律知識・第7講・事後強盗罪)
だから、万引き犯人が抵抗した場合は、強盗犯人を捕まえる程度の実力を行使できることになる。
この点からも、犯人が抵抗した場合は抵抗しない場合よりも強い実力行使が認められるのだ。
たとえば、
・犯人が殴りかかってきたら、それを受けて関節を決めてもいいだろうし、軽くジャブを出してもよいだろう。
・犯人がナイフを取り出したら、特殊警棒でそれをたたき落としてもよいだろう。
私服保安の実力行使が社会通念上の限度を越えると、私服保安の方に暴行罪・傷害罪が成立してしまう。
もちろん、それが「万引き犯人逮捕のためになされたものであること」は考慮される。
※最高裁昭和50年4月3日
「現行犯人から抵抗を受けたときは、逮捕をしょうとする者は、警察官であると私人であるとを問わず、
その際の状況からみて社会通念上逮捕のために必要かつ相当であると認められる限度内の実力を行使することが許される。」
(4)自分の身分を犯人に告げる-怖いオッサンが捕まえようとしたら誰でも抵抗する
犯人を逮捕する場合に忘れてはならないことがある。
それは、犯人の身柄を確保した後すぐに「自分が何であるか」を犯人に知らせることである。
普通『この店の保安係だ』とか『警備の者だ』と犯人に告げる。
身分証明章を提示できる状態ならこれを提示しなければならない。
なぜ、そんなことが必要なのだろう?
私服保安は私服である。
制服警備員のように、一目で警備員だと判らない。
物騒な世の中である。
人相の悪い男が『オイッ!チョット待てや!』と追いかけてきたり腕を掴んできたりしたら、誰でもビックリして怖くなるだろう。
そして、その男を突き飛ばしたり抵抗したり、その場から逃げ出したりすることは当然のことである。
それは「犯人の防衛本能」によるもので、何ら違法なことではない。
※誤想正当行為,誤想防衛,誤想自救行為(選任のための法律知識・第4講・誤想防衛)
万引き犯人が「違法でない抵抗行為」をしても強盗罪とはならない。
また、「違法でない逃走行為」中に一般客を突き飛ばして怪我をさせても、犯人は刑法上の責任を問われない。
民事上の責任については別の判断がされるが、そのような状態を引き起こした私服保安の責任も問題となる。
しかし、犯人が相手を「保安係や警備員」と知って、抵抗したり逃げ出したりした場合は違う。
それは、「自分の犯罪を成功させるため・捕まらないため」にしているからだ。
だから、抵抗行為・逃走行為から生じた損害は犯人の責任となる。
また、私服保安の実力行使はより強いものまで認められる。
場数を踏んでいない新人私服保安は、犯人を捕まえることだけに気を取られてしまう。
そして「自分の身分を犯人に知らせること」を忘れてしまう。
その結果、「実力行使の程度が過ぎた」と刑事責任を問われたり、
犯人が逃げるときに犯人自身や一般客が怪我をしたことの責任を負わされたりすることになる。
新人私服保安にはこの点をしっかりと教えておかなければならない。
もっとも、「刑事ごっこ」のように、『俺は、こういう者なンだが…。』とおもむろに身分証明章を見せていてはいけない。
その間に、犯人が逃げ出してしまうからである。
つづく