SPnet私服保安入門
犯人を逃がしてはならないが、もし犯人を逃がした場合は、追ってはならない。
犯人が逃げるときに車にぶつかったり、一般客を突き飛ばしたりして事故を起こす危険があるからである。
犯人が怪我をしても、一般客が怪我をしても店の責任が問われることになる。
(1)犯人を逃がすとこうなる
・事例20.アクション映画そのままの私服保安。店の評価は…
これは他警備会社の私服保安の話である。
実際に現場を見ていないので細部は異なっているだろう。
彼は正義感の強い20歳半ばの私服保安。
時計売場で男が何十万もする腕時計を盗った。
男が店外して車に乗り込もうとした。
彼が声かけする。
男は強引に車に乗り込みでエンジンをかけた。
彼は車の前に立ちはだかり両手を拡げた。
車が急発進した。
彼は横に飛んで車をかわし、車のボンネットに飛び乗った。
男は車をジグザグに走らせ、彼をボンネットから振り落とそうとする。
彼はは必死に耐える。
車が建物にぶつかった。
その衝撃で彼はボンネットから転げ落ちた。
彼はすぐに立ち上がり、男を車から引きずり出して逮捕した。
男は強盗罪・殺人未遂罪で起訴された。
私はこの話を聞いて、「凄い私服保安がいるんだなぁ!」と感心した。
しかし、店が彼に与えた評価はまったく逆だった。
『周りの危険を冷静に判断できない私服保安に警備は任せられない。』
彼はその店だけではなく、その地域の系列店へも「出入り禁止」となった。
私服保安の仕事は「店の安全を守ること」である。
店の安全とは「商品を守ること」だけではない。
「従業員・客・店のイメージ・信用を守ること」も含まれている。
そして、これらの方が「商品を守ること」よりも大切なのである。
私服保安はこれを肝に銘じておかなければならない。
・事例21.冷や汗ものの新人時代
私も新人の頃は乱暴なことを平気でやっていた。
今考えると冷や汗が出る。
夏。独り立ちして3カ月目のことだった。
食品売場で20歳位の男性を見つけた。
肩に布製の黒い袋をかけている。
男は店内カゴにポテトチップス・さきイカ・ピーナッツ・チョコレート・スナック菓子などを入れた。
「今から友達同士で飲むのだな…。」
男が人気のない通路に入っていく。
「盗るのか!」
案の定、彼は棚の前にしゃがみ込み、肩の布製黒袋を拡げてカゴの商品を詰めた。
そして、カゴの中にスナック菓子2袋だけを残した。
「全部盗っていけばいいのに。“せこい”ことをするなぁ~、若いのに。」
男は膨らんだ布袋を右手に、カゴを左手に持ってレジに並んだ。
私は一人置いて彼の後に並んだ。
男は平気な顔をしてスナック菓子2袋を支払い、それをレジ袋に入れて出口に向かう。
「“せこい”割には手慣れているじゃない。」
・声かけ
男は店外し、右手に持っていた布袋を右肩にかけた。
そして、左手のレジ袋を楽しそうに振りながら歩いていく。
店外10m。
私は男を呼び止めた。
私『オイオイ、金を払わなければダメだろう!保安係や。』
男は左手のレジ袋を私の方に突き出して、平然と言った。
男『ちゃんと買いましたよ。』
私『98円二つの方と違うワイ!その黒い袋に入っとる方じゃ!』
男『!』
男は突然走り出した。
この頃の私は、『声かけのときに犯人の体に触れてはいけない。』との指導を守っていた。
声かけ前に男の身柄を確保していないのだから、男が逃げるのは当たり前である。
さらに、『逃がしたら、追うな。』とも指導されていた。
しかし、血気盛んな新人私服保安にこれだけは無理である。
私は男を追いかけた。
『コラッ! 待てぇ~!』。
男は両手の袋を振り回しながら逃げていく。
男は脚が絡まって二度転んだが、すぐに起き上がってまた走る。
転ぶときも起き上がるときも、常に頭が前である。
気持ちだけが先になって、脚がついていかないのだ。
それでも、男は40mくらい走って専門店街に逃げ込んだ。
私も続いて専門店街に走り込む。
男との距離はあと5m。
店内に逃げ込んだのは男のミスだ。
私は、男の前からやって来た男性客に大声で叫んだ。
『そいつを、捕まえてくれ!』
男性客は両手を拡げて男を制止した。
私は男を捕まえた。
私は男を近くのベンチに座らせて息を整えた。
私『逃げたら罪が重くなるぞ!他の人に怪我でもさせたら刑務所やゾッ!このボケ がぁ~!』
男も「ハア、ハア」と肩で息をしている。
男『分かりました、分かりました、もう逃げません。言う通りにします。』
私『今度逃げたら承知せんからなぁ!』
・また逃げた
私は男と保安室へ向かった。
原則通り、男に専門店側を歩かせて私は通路側を歩いた。
犯人を逃がさないためである。
男はおとなしく歩いている。
私は教えられたことをもう一つ思い出した。
『犯人が同行中に逃げることがある。商品の入ったバッグに手をかけておいた方がよい。』
私『おい、この布袋には店の商品が入っているから持たせてもらうゾ。』
男『嫌ですよ。これは僕の私物も入っているから、僕が持っています。』
私は少し腹が立った。
しかし、無理強いはできない。
私は男の布袋から手を離した。
スーパーマーケットの1F入口が見えた。
入口前のエスカレーターのところで専門店の並びが途切れた。
突然、男がエスカレーターの方へ走り出し、エスカレーターを駆け上がった。
「しまった!」
私もエスカレーターを駆け上がった。
エスカレーターに乗っている客が身をよける。
私がエスカレーターを2/3ほど上ったときに、男は2Fに着いた。
そして、男はすぐに下りエスカレーターを下へ駆け下り始めた。
2Fに着いた私も、すぐに下りエスカレーターを駆け下りた。
男は1Fに着いて、右に逃げた。
男の逃げた方向には、30mくらい先に専門店街出口がある。
エスカレーターの下にヤンキー風男性三人がいた。
私はエスカレーターに乗ったまま、逃げる男を指さして彼らに叫んだ。
私『おいっ!あの男を捕まえてくれ!』
三人が男を追いかけた。
私は1Fに着いた。
男が先頭で、その5m後をヤンキー風三人が一団となって追いかけている。
男がレジ袋からスナック菓子を落として走る。
三人がそれを踏みつけていく。
男は開いていた自動ドアを通った。
しかし…、
二枚目のドアは開いていなかった。
男は二枚目のドアにぶつかって転んだ。
三人が転んだ男に飛びかかった。
私が追いついたときには、男は三人にのしかかられて「ゼイゼイ」と言っていた。
私は男にこう言った。
私『「今度逃げたら承知せんゾ」と言っただろうが…。』
私は男の上に重なっている三人をどかせて男を立たせた。
男はまだ「盗った酒のつまみの入った」布袋を握っていた。
しかし、男の着ている黄色いTシャツはビリビリに破れていた。
・反省
男がエスカレーターを駆け上がり駆け下りたときに、犯人や客が転げ落ちて怪我でもしたら大変なことになっただろう。
男が出口ドアにぶつかって首の骨を折ったとしたら、とんでもないことになっただろう。
そう考えると、冷や汗どころか背筋が寒くなる。
犯人を逃がしたら、こんなことにもなりかねない。
声かけするときには、犯人の体に触ったり実力行使をしたりしてもかまわない。
そして、「犯人に逃げる余地や抵抗する余地を残さない」ようにしなければならないのである。
私はこの日から「まず犯人の身柄を確保する。それから声かけをする。」と方法を変えた。
私の手は“念力”が出ないからだ。
(2)逃げた犯人を追っているときも“中断”を意識せよ
「逃がしたら追うな」と言っておきながら「逃げた犯人を追う」ときの注意点を説明するのはおかしなものである。
しかし、実際には犯人を追ってしまうことがある。
そこで、一応説明しておこう。
次の「5.犯人が商品を捨てたらどうするか」も同じ配慮からである。
「中断がないこと」は「現認から店外まで」の検挙条件ではない。
「現認から犯人を逮捕するまで」の検挙条件である。
当然、犯人を追っているときにも中断を意識していなければならない。
たとえば、
・犯人がポケットの中に商品を入れて店外。
・私服保安が声かけ、犯人が逃げた。
・私服保安が後を追う。
・犯人が建物を曲がった。
・私服保安も曲がった。
・犯人は5m先を必死に走っている。
・私服保安が犯人に追いついて、犯人を捕まえた。
・犯人のポケットには商品が入っていなかった。
誤認逮捕である。
犯人が建物を曲がったときに「中断」が発生しているのである。
その間に、犯人はポケットから商品を捨てることができるのである。
同じことは、犯人が駐車場の車の間を逃げている場合にも起こる。
犯人の頭が見えているだけでは、商品を捨てられたかもしれない。
このような場合、「犯人が商品を捨てることができた」と判断すれば犯人を追うこと・捕まえることを止めなければならない。
そのためには「犯人を捕まえるまでは中断があること」をしっかりと認識しておかなければならないのだ。
これは、逃げた犯人を追っているときには、つい忘れてしまうので注意しなければならない。
なお、逃げ切った犯人を後で見つけた場合、その犯人が「盗った商品」を持っていても何もしてはいけない。
中断があるから当然のことである。
犯人がその間に商品代金を清算したかもしれないし、「盗った商品」を別の所に置いて別の店で同じ商品を買ったのかもしれない。
また、「はめ込む」ために、仲間があらかじめ買っておいた商品と取り替えたのかもしれない。
『万引きをしたら、逃げるが勝ち。』なのだ。
私服保安は悔しい思いをしないためにも、「犯人に逃げられないように」しなければならない。
つづく