SPnet私服保安入門
・事例30.『売上カードを抜き忘れました…。』盗った本を出すから捕まる
日曜日だった。
私とAさんは、同じショッピングセンターの別々の店に入っていた。
私がスーパーマーケット、Aさんが書店である。
私服保安にはイケイケ派と慎重派がある。
検挙条件が揃ったときに、「思いっきりよくいく者」と「なかなかいけない者」である。
心の中の100%はない。
慎重派はこのハードルがなかなか越えられないのだ。
イケイケ派は検挙条件が充分に揃っていなくても突進してしまうことがある。
だから、誤認やヒヤリハットを起こす危険がある。
慎重派にこんな危険はない。
しかし、万引き犯の盗った商品点数が少ないと検挙を見送ることになる。
「スーパーマーケットの万引き」は多くの商品を盗るので慎重派に向いている。
「書店やスポーツショップの万引き」は盗る点数が少ないので慎重派は苦労する。
Aさんは慎重派であった。
16時頃、Aさんから連絡が入る。
A『いま女子高生がコミック単行本五冊を盗ったのですが…。ちょっと来てください。』
私はすぐに書店に向かった。
Aさんは書店の外にいた。
私『どの女子高生だ?』
A『あのアクセサリーワゴンで、母親と一緒にアクセサリーを見ている女の子です。』
その女子高生は布製の手提げを持っている。
私『現認OKで中断はないな?』
A『ありません、コミック棚で単行本を二回に分けて手提げに入れました。
その後、彼女は雑誌を見ていましたが中断はありません。』
私『書店から出て本を捨てていないな?』
A『出てすぐにアクセサリーワゴンの所で母親と合流し、そのまま動いていません。
私が近寄って手提げの中を見たら、ちゃんと5冊見えました。』
私『だったら捕まえたらいいじゃないか?』
A『なにか怖いンですよ…。それに母親と一緒になったから…。』
子供が親と離れて万引きし、そのあと親と合流する。
親は子供が万引きしていることを知らない。
子供が親と合流すると少々厄介になる。
子供だけなら簡単に「盗ったこと」を認めるが、親の前ではなかなか認めないからだ。
しかも親は子供を信じているから、こちらに食ってかかってくる。
親に対しても「決定的な事実」を突きつけなければならない。
この母親の存在が慎重派のAさんにブレーキをかけているのだ。
私『確実なンだから、思い切ってやってみたら?』
A『山河さんがやってくださいよ…。』
私『自分の目で見ていないからやれないよ。』
私服保安は自分自身で現認しなければ動かない。
いかに腕のいいAさんが「確実だ。」と言っても、それだけでは私の脚は前に出ない。
A『見送りましょう…。』
私『もったいないじゃないか。
この書店には新人を多く入れているので、今月は検挙ゼロだし…。』
A『でも…、いろいろ考えると怖くなるンです。
あの手提げの中に入っている本も、上からしか見ていません。
本の表紙が見えません。もし、私が現認したのと違う本だったら…。』
Aさんは“検挙の機”を失したのである。※事例24.三人は万引き犯の後をついていった
私『じゃあ、手提げの中に入っている本の表紙を見たらやれる?』
A『ええ…、まあ…。それでは、女の子が本を出すまで待ちましょうか?』
私『そんなことを親の前でする訳がないじゃないか。なんとか出させてみよう。』
書店に並んでいる本には「二つ折りの細長い紙」が挟んである。
“売上カード・注文カード”と呼ばれている。
客がレジ清算をするときに、レジ係がこのカードを本から抜き取る。
このカードで発注などの商品管理をしているのである。
・本を出させる
私は女子高生に駆け寄った。
そして、息を弾ませながらこう言った。
私『お客さん、お客さん!いま書店でコミック本を買われましたよねぇ?
レジ係が本から売上カードを抜き取るのを忘れたンです。
すいませんが、そのカードをいただきたいのですが…。』
女子高生は少し躊躇ちゅうちょした。
しかし、母親の手前もあったのか手提げから単行本を一冊取り出した。
その本には売上カードが挟んであった。
私『これです。この売上カードを抜きとるのを忘れたのです。』
女子『…。』
私『残りの本にもカードが残っているはずですが…。』
女子高生は残りの四冊を取り出した。
この四冊にも売上カードが挟んであった。
Aさんが近付いてきた。
女子高生の出したコミック本の表紙を見たからである。
Aサンが女子高生に言った。
A『何かすることを忘れていない?』
女子『…。スイマセン…。』
母親には何が起こっているのか分からない。
私は母親に言った。
私『なぁに、ちょっとした出来心ですよ。麻疹(はしか)みたいなものですよ…。』
母『えっ?娘が万引きをしたのですか!』
売上カードの入った本を見せられたのでは、娘を信じることはできないだろう。
書店の店長は警察連絡をしなかった。
母親が一緒であり、女子高生が素直であったからだ。
母親と娘には「これからしっかり教育します」・「こんなことは二度としません」という誓約書を書いてもらった。
母親はコミック本をレジ清算して娘と帰っていった。
A『山河さん、質問があるのですが…。』
私『何?』
A『あのとき女子高生が、「えっ?レジで抜いてもらいましたよ。」と言ったらどうするつもりだったンですか?』
私『女子高生はレジに行っていないのだから、嘘を言っていることになる。もう一押しするね。』
A『どのように?』
私『えっ?レジに行ったの?行かなかったでしょう?
あのお姐さんが「行かなかった。」と言っていましたよ。』
A『それは私じゃないですか!』
私『最後はあなたにやってもらいます。』
A『それでは、女子高生が「私は本屋になんか行っていません。」と、とぼけたらどううするンですか?
「お姐さん」はなしですよ。』
私『そうだなぁ…。そんなときは、
「えっ?レジでは女子高生と聞いてきたンだけど…。あれっ?あの女子高生かな?」と言って逃げるさ。』
A『そこまで考えていたのですか!』
私『そんなのいちいち考えているわけないでしょ!行き当たりばったりだよ。』
A『それにしても山河さんは“カマかけ”が上手ですね!』
私『あなたもしっかり使っていましたよ。「何かすることを忘れていない?」って。』
(5)書店では『どこに置いてきたの?』は使えない
スーパーマーケットでは『どこに置いてきたの?』という“カマかけ”が使える。
しかし書店では使えない。
スーパーマーケットでは、売場ごとにまったく違う種類の商品が置いてある。
客は「その売場に置いてある商品」を「その売場へ」買いにくる。
もしその売場の商品が別の売場に置かれていたら、その商品は売れないことになる。
これは、食品売場内でも同じである。
食品売場では広いスペースにいろいろなコーナーがあり、まったく異なる商品が置いてある。
商品を違うコーナーに置き去りにされると、その商品は売れなくなってしまう。
さらに、食品は痛んだり鮮度が落ちたりする。
置き去りにされた商品を店員が見つけて元の場所に戻しても、すでに商品価値がなくなっていることがある。
これに対し、書店は本だけが置いてある。
店内はそんなに広くない。
置き去りにされた本が痛んだり腐ったりすることもない。
書店で、
『困るなぁ、コミック本を別の場所に置き去りにしたら…。売れないじゃないか…。』
と“カマかけ”しても犯人は平気である。
『そんなのどこに置いてきてもいいじゃない。腐るものでもなし、店員が元の場所に戻すでしょっ!』
これでは「犯人に心理的圧迫をかけて自白させる」ことができないのだ。
つづく