SPnet私服保安入門

         

(6)この“カマかけ”はやってはいけない

 




・事例31.『駐車場に着いたよ。出ないの?』-犯人が自白したからよかっただけ


これは、実例ではない。私が研修材料に使った作り話である。


Wは中堅の男性私服保安である。

スランプなのか、ここ2週間「検挙ゼロ」である。

「今日こそは検挙するぞ!」

彼は食品売場を張った。


スーパーマーケットでの万引きは、食品売場が圧倒的に多い。

化粧品や衣料は一度盗ったら2~3カ月は盗る必要がない。

しかし、食品は毎日必要だから毎日盗らなければならない。

検挙数を上げようと思えば、食品を張ればよい。


・万引き出口


Wは野菜売場(農産)で、鮮魚の方からこちらに向かってくる男を見つけた。

65歳くらいでカートを押している。

カートに載せた店内カゴは食品で一杯だ。


この店の食品売場出入口は三つある。

左右両端に農産出入口とパン出入口。この二つの出入口はどこの店でも同じだ。

この店には、もう一つの出入口がある。
それは農産出入口から奥に10mほど入ったところにあった。

この出入口を出ると、すぐに上りエスカレーターがある。

ここは食品万引きがよく使う“万引き出口”だ。


男が“万引き出口”近くにカートを停めた。

Wは「盗るつもりだな!」と直感した。

しかし、Wは男の商品を何一つ現認していない。

Wは「何か一つでも商品をカゴに入れないかなぁ…。」と期待した。


男は漬け物コーナーに行きキムチを手に取った。

しかし、それをそのまま棚に戻した。

男は「売場から出る」のをためらっているだけである。


暫くして男はカートの所に戻り、“万引き出口”からカートを押して出た。

Wは後を追った。


男はポケットから古いレジ袋を取り出して、それをカゴの中に入っている商品の上に置いた。

そして、カート置き場にカートを置き、商品の入ったカゴを持って上りエスカレーターに乗った。

定番の“万引き手口”だ。


Wもエスカレーターに乗った。

1F→2F→3F。Wは男の後ろで自分自身と闘っていた。

「盗っているに違いないから捕まえようか。いや、いや一つも現認していないから捕まえてはいけない。」


男は3Fでエスカレーターを降りた。

外は立体駐車場である。


・抑止のつもりが、欲が出た


Wは捕まえることを諦めて“抑止”することを決めた。

抑止とは「万引き犯に盗らせないようにすること」である。

万引き犯に私服保安の尾行を気づかせて「盗ることを諦めさせる」のである。

盗ることを諦めた万引き犯は、レジ清算したり商品を置き去りにしたりする。

抑止でも私服保安には「それなりの評価」が与えられる。


Wは男より先に立駐へ出て、腕組みをして男を睨(にら)んだ。

男はWに睨み付けられて出てこない。

やましいところがなければ出てくるはずである。

出てこないのは、彼が万引き犯だからである。


男はエスカレーターの横のベンチに腰掛けて「どうしようか」と迷っている。

Wはこれを見て欲を出した。


Wは立駐から店内に入り、ベンチに腰掛けている男に近づいた。

そして男に向かって「ニヤニヤ」した。

男が居たたまれない表情になる。


Wは男に声をかけた。『駐車場に着いたよ。出ないの?

男の顔がこわばった。

Wは男に言った。『アカンやろう?

男の唇が震えた。

Wは決め言葉を出した。『分かっとるンや!

男が落ちた(白状した)。


・Wの心配事


Wは保安室に男を連れてきた。
しかし、心配事があった。

それは「棚取り現認がない」ことだ。


やってきた警察官は「Wの棚取り現認」を確かめるに違いない。

警察官は「犯人の自白がなくても有罪に持っていけるだけの証拠があるかどうか」を確かめる。

Wの棚取り現認がなければ、またそれが不確実なら、警察官は事件として扱わない。


警察官は犯人と私服保安に「犯行状況」を別々に聞く。
それが違っていたら大変だ。

「どうしよう…。そうだ!」


Wは男の持っていた商品を机に並べて、男にこう言った。

W『書類を書かなければならないので、盗った順番に商品を並べてヨ!』

男は素直に商品を並び替えた。

Wは制服警備員に男の監視を頼んで、すぐに売場に行きそれら商品の場所を確認した。


Wが保安室に戻ると、もう警官が到着していた。

Wは警察官になんとか男の犯行状況を説明することができた。

警察官は事件として扱い、男を連れていった。


この“作り話”を研修生に話すと、彼らは決まってこう言うのである。

研『山河さん、この話いやにリアルですねぇ~。実例じゃないのですか?Wって誰なンですか?』

私『そんな“いい加減な私服保安”が我々の部隊にいる訳がないだろう…。』

しかし、研修生がこれを信じたかどうかは分からない。


A『あのぅ…、山河さんならやりかねませんけど…。』


・今までの“カマかけ”と違う点


今までの“カマかけ”は
・棚取り現認はあるが入れる現認が不充分。(事例27・事例29)。
・棚取り現認と入れる現認はあるが中断がある。(事例28)
・棚取り現認と入れる現認があり中断がないが確かめるため。(事例30)

どれも棚取り現認が確実な場合である。

しかし、この事例では棚取り現認がない。

棚取り現認がなければ、男が持っていた商品が「店の商品ではない・既に清算済み」の可能性がある。
また、男が自白を翻(ひるがえ)せば「男がそれらを盗ったこと」を証明できなくなる。

Wの決め言葉『分かっとるンや!』の後で、男がこう言ったら終わりだ。、

・男『分かってくれましたか、これは買ったものです。ここにレシートもあります。』
・男『見ていてくれましたか、見ず知らずの人が私にこの食品をくれるところを』
・男『へぇ~っ、何が分かったの?』

この事例は、たまたま男が盗っていて、たまたまその男が素直に白状したからよかっただけである。
たまたまが重なって誤認とならなかっただけである。

どんな場合も棚取り現認は必要で、それを“カマかけ”で補ってはいけない。
棚取り現認のない“カマかけ”、棚取り現認の不確かな“カマかけ”は絶対にやってはいけないのである。


Wのした現行犯逮捕は違法ではないのか?


現行犯逮捕が認められるのは、
「犯人が犯行をするところを見た」からである。
それが犯罪であること、その者が犯人であることがハッキリ分かるからである。

万引き犯人を現行犯逮捕できるのは「その犯人が万引き行為をするところを見た」からである。

この事例ではWは男の万引き行為(棚取り)を見ていないので、Wの逮捕は違法逮捕となるか?

しかし、逮捕者が見ていなくても「周囲の状況からその者が犯人とハッキリわかる場合」は現行犯逮捕が許されると解釈されている。
そして、犯人が自白したこともそこに含まれる。

逮捕者が見ていなくても周囲の状況から現行犯逮捕の要件が揃っていることが分かれば現行犯逮捕できる。
(選任のための法律知識・第8講・現行犯逮捕)

Wは男の自白を待って逮捕したのだから違法逮捕とはならない。
あとで、男が自白を翻しても、Wが捕まえたときに自白があったのだからWの現行犯逮捕は違法とはならない。

しかし、男が裁判で自白を翻せば、男は無罪となりWは誤認した事になる。

また、Wの嘘の棚取り現認供述が供述調書となれば文書偽造になる可能性もある。


つづく

 





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