SPnet私服保安入門
(7)棚取り現認なしの“カマかけ”を使わなければならないとき
「棚取り現認なしの“カマかけ”」は絶対にやってはいけない。。
しかし、事例13のように「検挙条件が揃わないときでも、敢えて検挙しなければならない場合」もある。
「棚取り現認なしの“カマかけ”を使わなければならない場合」もある。
但し、それには必須条件がある。
それは、
・犯人が盗ったことが確かであること
・犯人が自白すること・自白を翻さないと考えられること
である。
・事例32.『なにか、忘れていませんか?』 - このまま手ぶらでは帰れない
入店した私に制服警備員が言った。
警『婦人服売場マネージャー(mgr)から「山河さんに来てほしい」と連絡がありましたよ。』
私は婦人服mgrに会った。
mgr『昨日、売場係員から次のような報告を受けました。
・中年女性が試着室に商品を何度も持ち込んだ。
・試着室から出てきた女性はパンパンに膨らんだバッグを持っていた。
・女性の入っていた試着室には多数の値札が落ちていた。
これが、その値札です。』
mgrは持っていた値札を私に渡した。
数えてみると17枚もある。
私『昨日その女性を見た売場係員は出勤していますか?』
mgr『ええ、売場に入っています。』
私『その女性が売場に来たら、すぐに私に連絡するように言ってください。』
mgr『分かりました。連絡させます。』
私『それから、参考のためにこの値札は暫く私が預かります。いいですか?』
mgr『いいですよ。』
16時頃。婦人服売場の係員から連絡が入った。
係『昨日の女性が来ています。いま気がつきました。すぐに来てください。』
私は婦人服売場に行き、係員にその女性を教えてもらった。
40歳過ぎの女性である。
肩に布製の手提げ袋をかけ、左手に婦人長袖シャツを、右手に値札の付いた紳士用革靴を持っていた。
手提げ袋は少し膨らんでいる。
・棚取り現認なし
私はその係員に尋ねた。
私『あの女性はもう試着室に入ったのですか?』
係『私が見つけてからは入っていません。』
私『女性はいま長袖シャツを持っていますが、あなたは「彼女がそれを棚から手に取るところ」を見ましたか?』
係『私が女性を見つけたときにはもう持っていました。でも、あれはこの婦人服売場の商品ですよ。』
私『女性が持っているあの革靴も棚から手に取るところを見ていませんよねぇ…。』
係『見ていません。』
これは当然である。
紳士靴売場は婦人服売場と20mも離れている。
しかも、これら二つの売場の間には紳士服売場がある。
婦人服売場の係員が「紳士靴を女性が手に取るところ」を見ているはずがないのである。
「係員の現認もなしか…。」
私は女性を監視し始めた。
女性が長袖シャツと紳士靴を持ったまま試着室に入った。
係員も女性を監視している。
私は試着室に近寄って中の様子を窺うかがった。
ゴソゴソしている。
女性が試着室を出ようとしたので、私は遠ざかった。
試着室から出てきた女性は持ち込んだ長袖シャツと紳士革靴を持っていなかった。
そして、手提げ袋は大きく膨らんでいた。
私は試着室内を点検した。
試着室には長袖シャツも革靴も残されていなかった。
係員も私のそばでそれを確認している。
女性が大きく膨らんだ手提げ袋を右手に下げて売場を出ていく。
係員が私を急かす。
係『いま女性が試着室で商品を手提げに詰めたンです。昨日はもっとたくさん盗っていきました。早く捕まえてください!』
ここまで言われて、何もしない訳にはいかない。
・女性が試着室へ持ち込んだ長袖シャツと紳士革靴を 試着室で手提げ袋に詰めたのは確かである。
・紳士靴に付いていた値札はこの店のものであった。
・長袖シャツもこの売場のものだろう。
・紳士靴を婦人服売場の試着室へ持ち込んで手提げに詰めるのも不審である。
・昨日も同じ手口で盗っている。
しかし、私は棚取り現認をしていない。係員も現認していない。
「決め手がない…」
係員がスーパーマーケットゾーンを出ていく女性を指さして、さらに私を急かす。
この係員に「検挙条件」を説明しても納得しないであろう。
・このまま手ぶらでは帰れない
私は取り敢えず私は女性を追った。
まだ、盗るかもしれないからだ。
女性はスーパーマーケットゾーンを出て専門店街に入ったが、帰りを急いでいるようで盗る気配がない。
私は女性を尾行しながら、「声かけするかどうか」を迷っていた。
すでにスーパーマーケットゾーンを出てから30m進んでいる。
このまま手ぶらで婦人服売場に戻るわけにはいかない。
「しょうがないなぁ…。やってみるか!」
私は女性に近付いた。
女性の持っている手提げ袋の中に紳士靴が見える。
私は女性と並んで歩きこう言った。
私『すいません…。何か忘れていませんか?』
女性はビクッとした。
私は女性の手提げの中の紳士靴を指さしてこう続けた。
私『その革靴…。』
ここで、女性は落ちた。
女『すいません。払います。』
これは事例31のWと同じである。
やってはいけない「棚取り現認なし」の“カマかけ”である。
しかし、私には女性を捕まえなければならない理由があった。
・私は「昨日女性が大量に盗った」ことを売場mgrから報告されている。
・昨日の女性を目撃した係員が私と一緒に女性の行動を見ている。
・このまま、私が女性を見送ったのでは私服保安としての信頼がなくなるのである。
・私は事例31のWのように「単に自分の検挙実績を上げるために」危険な橋を渡ったのではない。
・さらに、事例31よりも周囲の状況から女性が盗ったことが充分に推測できたのである。
しかし、危険な検挙であることには変わりがない。
女性が偶然盗っていたから、女性が偶然すなおな万引きだったからよかっただけのことである。
・この話には“後”がある。
保安室で女性に手提げ袋に入っているものを出してもらった。
紳士靴と長袖シャツの他に婦人長袖シャツが三枚。
女性は「盗ったこと」を認めた。
私は机の中から17枚の値札を取り出して女性に昨日の件を尋ねた。
女性は「昨日盗ったこと」も認めた。
私『それでは、明日その盗った商品をすべて持ってきてください。』
女『…。その値札のすべてを支払いますから…。』
私『そんなことはできません。商品と値札を照合しない以上、支払ってもらうことはできません。』
女『…。』
多分、女性は昨日盗った商品の中の一部を手放しているのだろう。
私は困っている女性に“助け船”を出した。
私『とにかく、残っている商品をすべて持ってきてください。』
女性は警察官に連れられていった。
翌日、女性が商品を持ってやって来た。
持ってきた商品は12点。
12点の商品と値札はすべて合致した。
女性は前日に盗った紳士靴・婦人長袖シャツ四枚・前々日に盗った12点を支払った。
この話にはまだ“後”がある。
女性は買い取るときに『こんなお金でもいいですか…。』と封筒から紙幣を取り出して見せた。
その紙幣は紙幣として通用するが、現在流通していない一万円札・五千円札・千円札であった。
さらに女性が言った。
女『本当に馬鹿なことをしたと反省しています。警察から主人に連絡がいき主人が私を迎えに来てくれました。
主人は私のやったことを子供たちに内緒にしてくれました。
でも、私は主人と子供たちに申し訳ないと思いました。
私は主人と子供たちに置き手紙をして車に布団を積んで家出してきました。』
ここまで反省する万引き犯は珍しい。
私は彼女を諫(いさ)めた。
私『そんな弱気なことを言ってどうする。
誰にでも“過ち”はあるじゃないか。
家族の者が過ちを犯したときに、それを支えるのが家族じゃないか。
あなたが家出したら、ご主人も子供たちもあなたを支えることができなくて悲しんでしまうンだよ。』
女性はうつむいていた。
彼女を勇気づける事で、棚取り現認なしの“カマかけ”を使った自分への悔いを和らげていた。
・警察に被害届を出す方法がある。
このような場合、被害届を警察に出す方法がある。
昨日の盗難について、残された17枚の値札や在庫、係員の証言で「盗難のあったこと」が証明できる。
そうすれば、女性が来店したときに警察官が任意取り調べをすることができる。
また、今回のような場合、警察官は職務質問ができる。
何の権限も持っていない私服保安が、危ない棚取り現認なしの“カマかけ”を使うより安全である。
しかし、警察官はすぐにはやって来ない。
売場では「すぐに解決しなければならない場合」がある。
あえて、危険を冒さなければならない場合がある。
つづく