SPnet私服保安入門


(11)万引き犯人の「商品買い取り」

 




a.店は万引き犯に「被害商品の買い取り」を強制できない-盗った商品は買い取らなくてもよい


“買い取り”とは、捕まった犯人が盗った商品の代金を支払うことである。

通常、盗った商品が「生ものや食品」、そして「パッケージの破れたもの」は万引き犯人が買い取る。
それらは売場に戻せないので商品価値がなくなったからだ。

小さなスーパーでは、それ以外も商品もすべて万引き犯人の買い取りとなる。
店長さんもそれが当然だと思っているし、警察官も買い取るよう犯人に勧める。


しかし、私服保安も一緒になって買い取りを勧めてはいけない。

・店は犯人に“買い取り”を強制できない
・万引き犯人は盗った商品を買い取る義務はない。

これを説明しよう。


法律には「国と個人の間のルールを定めたもの」と「個人と個人の間のルールを定めたもの」がある。

刑法や刑事訴訟法は“国と個人の間のルール”。

民法や商法は“個人と個人の間のルール”である。


「万引き犯人を私服保安が現行犯逮捕し・警察が取調べ・検察官が裁判官に訴え・裁判官が刑罰を決める」ことは
“国と犯人の問題”なので刑事訴訟法のルールによる。

これに対し、「万引き行為によって生じた損害を、誰が・いつ・どれだけ・どのように負担するか」は
“店と犯人の問題”なので民法のルールによる。


・民法ルール


民法では「個人と個人の争いは、お互いの合意で解決する。合意できないときは民法の規定によって決める。」とされている。

もっとも、お互いの合意が余りにも不当な場合は別である。


店が「商品を買い取ってください。」と要求し、犯人が「買い取ります。」と言えば、
合意が成立し犯人は商品を買い取らなければならない。

しかし、店が「買い取ってください。」と要求したのに、犯人が「商品を返す。買い取るのは嫌だ。」と言えば、
合意が成立しないので民法の規定によって決めることになる。

この場合には民法の不法行為(民法709条)が適用される。


民法の不法行為による解決は次のようにしてなされる。

・①.店が万引き行為によって生じた損害を裁判官に訴える。
・②.裁判官が両方の主張を聞いて、店に生じた損害の額を決める。
・③.犯人は「裁判官の決めた額」を店に支払う。

買い取りを拒否した犯人は ③ になって初めて「支払わされる」ことになる。

しかし、犯人が支払わされる額は「裁判官の決めた額」で「店が裁判官に訴えた額」ではない。
つまり、「商品代金そのもの」ではないのだ。


店が犯人に商品を買い取らせる(商品代金を支払わせる)ためには、
・店が訴訟を起こし
・「商品を返してもらっても、買い取ってもらわなければ損害が生じる」ことを証明し
・裁判官がそれを納得しなければならないい。



たとえば、

・犯人が“鰹の刺身”を盗った。
・私服保安が犯人を捕まえたときには“その鰹の刺身”は腐っていた。
・犯人は店に“腐った鰹の刺身”を返した。
・“腐った刺身”は売り物にならない。

この場合、店が犯人に“腐った刺身”を買い取らせるためには、

・店が犯人を相手取って損害賠償請求訴訟を起こし、
・「その鰹の刺身が犯人に盗られずに、そのまま棚に置いてあったら必ず売れた」ことを証明しなければならない。

「その店では毎日“鰹の刺身”が大量に売れ残って捨てていた」のなら、その証明は難しくなる。

完全に証明できなければ、裁判官の決める損害額は商品代金より低くなるだろう。


犯人が捕まった段階では、店は訴訟を起こしていないし裁判官が損害額を決めていない。

犯人が“腐った刺身”を返せばそれで済むのである。

このことをしっかりと理解しておかなければならない。


b.「万引きの成立」と「商品買い取り」は別問題 しかし、お上にも情けはある


窃盗罪の成立は、“国と犯人の問題”。
商品買い取りは“店と犯人の問題”。

この二つはまったく別の問題である。


「商品を買い取った」から「窃盗罪が成立しない」わけではない。

犯人が“腐った刺身”を買い取っても買い取らなくても窃盗罪が成立することは同じである。

「金を払えば文句はないンだろう!」は店には通用するが国には通用しない。


ただ、「犯人が商品を買い取ったこと」は、
「警察官がそれを事件として扱うか・送検するか,
検察官が起訴するか・しないか,裁判官がどのくらいの刑罰にするか」に関係してくる。

これらの判断には、「犯人が反省しているか,心を入れかえたか,被害者の損害が埋められたか」が考慮されるからである。

その点から言えば、犯人は腐った刺身を買い取った方がよいだろう。

もっとも、それは“判断の一材料”になるだけで、常に犯人にとって有利な結果が生じるわけではない。


c.私服保安や警察官は“買い取り”に関わってはいけない


犯人が“買い取り”を拒み盗った商品を返せば、その段階では犯人に“商品買い取り義務”はない。

買い取り義務のない犯人に、私服保安が買い取りを要求したり勧めたりしてはならない。


“捕まえられた犯人”と“捕まえた私服保安”の立場は対等ではない。

犯人にとって私服保安は“強い存在”である。

犯人は「私服保安の言う通りにすれば、見逃してくれるかもしれない。」と思うだろう。

そこで、私服保安の勧めに応じて嫌々ながら買い取りをするかもしれない。


あとで犯人が「私服保安に買い取りを強要された。」と騒ぎだしたら、
私服保安には脅迫罪(刑法222条)・強要罪(刑法223条)が問題となってしまう。


「商品を買い取るかどうか」は犯人と店が話し合い、お互いが納得して決めることである。

犯人にとって強い存在であるの私服保安が首を突っ込んではいけない。


犯人が『商品を買い取らなければならないのですか?』と聞いたら、
『それは、あなたと店で相談してください。』と答えるだけにしなければならない。

・『犯人はいつも買い取っていくよ。』とか、『買い取れば警察が手加減してくれるかもしれないよ。』と言ってはいけない。
・『見つからなければ盗っていく。見つかったから返す。そんな道理は通用せんぞ!』と言えば大問題になってしまう。

店の担当者から『いつもはどのようにやっているの?』と聞かれたら、
犯人の聞いていないところで担当者に説明しなければならない。


また『私服保安が買い取りに首を突っ込んだ。』と疑われないように、私服保安は“買い取り手続”に関わってはいけない。

「犯人から代金を預かって、商品をレジ清算してくる」こともしてはいけない。

買い取り手続は店の担当者と犯人ですべてをやってもらわなければならない。

・通常は、店担当者が保安室にいる犯人から代金と商品を預かり、レジ清算をして犯人に商品・レシート・お釣りを持ってくる。
・担当者が忙しいときは、私服保安が付き添って犯人が商品をレジに持っていって支払う。
・保護者と犯人が後から買い取りに来たときも、私服保安が付き添ってレジで支払ってもらう。

買い取り手続に私服保安が関わるのはこの「レジへの付き添い」が限度である。


新人私服保安が犯人の“買い取り代金”を立て替えたことがあった。

その私服保安は金のない犯人に同情して善意でしたのである。

しかし、問題が起こったときには“善意”ではなく“強制”と判断されてしまう。

「立て替えやる」などは絶対にしてはいけない。


・警察官は私服保安以上に“買い取り”に関与してはならない。


犯人にとって警察官は「私服保安より強い存在」だからである。

警察官が犯人に買い取りを強要すると、脅迫罪・強要罪のほか公務員職権濫用罪(刑法193条)が問題となる。


ある店で、私が万引き男性を捕まえた。

若い警察官と先輩警察官がやって来た。

犯人が若い警察官に聞いた。

犯『盗った商品の金を払えば、許してもらえるのか?』


若い警察官が答えた。

警『“万引きの成立”と“あとで代金を支払ったこと”は関係ない。
     あとで代金を支払っても万引きは成立する。』

これを聞いた犯人が言った。

犯『なんだ、金を払っても払わなくても同じか…。
     それなら金は払わん。こんな商品はここで店に返す。』


若い警察官は犯人の横柄で・悪びれない態度に腹を立てた。

警『お前!自分のやっこことが分かっているのか!店に迷惑をかけたンだぞ!
     「金は払わん、盗ったものを返す。」という言い方はなんだ!』


先輩警察官があわてて若い警察官をなだめ、犯人に説教して話の方向をそらした。

先『お前なぁ…。人さまの物を盗ったことが悪いンだぞ…。金の問題とは違うだろうが…。』

そして、先輩警察官は私を保安室の外へ呼んで私に頼んだ。

先『あの警察官の言ったことは、聞かなかったことにして欲しいンだが…。』


このように、警察官が犯人に買い取りを勧めたり強要したりすることはない。

しかし彼らが心の中でどう思っているかは分からない。

「犯人に買い取りをさせて、それで一件落着としよう。そうすれば事件として扱わなくても済む。」と思っているかもしれない。

「前科・前歴があれば別だが、たかが万引き初犯じゃないか。
   買い取りをさせれば、店も文句は言わないだろう。
   犯人に買い取らせて、さっさと引き上げようぜ。」
やって来た警察官に、このような態度を感じることがあるのは私だけだろうか?


d.『あとで買い取ります!』と言って、買い取りしなかったらどうなるか?


買い取りのやり方はさまざまである

・①.犯人と店で買い取りが決まり、犯人が金を持っていればその場で支払う。
・②.犯人が金を持っていなければ、店が被害商品を保管し、あとで犯人が支払いに来る。
・③.犯人を警察が逮捕すると、警察の書類作成に被害品が証拠物として必要になる。
     被害商品は警察官が警察へ持っていき、あとで店に返される。店はこれを保管する。
     後日、釈放された犯人や犯人関係者が買い取りに来るか、被害額を弁償しに来る。

     犯人が逮捕された場合は送検・起訴が問題となるので、犯人や犯人関係者は必ず買い取りや被害額弁償に来る。

・④.犯人が未成年者の場合は、警察官が被害商品を警察に持って行き、保護者に見せて事情を説明する。
     そのあと、被害商品は保護者に渡される。
     保護者は被害商品を持って店を訪れ、店担当者と“買い取り”を相談する。


・約束を守らない犯人


② の場合に犯人が支払いに来ないときがある。
犯人と店との話し合いで“買い取り”となったのに犯人が買い取りに来ないのである。

それは、警察官が事件として扱わなかったり送検しなかったりした場合に時々起こる。


警察官が「事件として扱わなかった・送検しなかった」ことには「犯人と店の間で買い取りが決まったこと」も考慮されている。

しかし、あとで警察官が「犯人が本当に買い取ったかどうか」を確認することはない。

「犯人が約束を守ったかどうか・支払ったかどうか」は犯人と店との“個人対個人”の問題である。

警察は私人間のことに関与してはならないからである。


買い取りに来ない犯人に支払わせるためには、店が“犯人の約束違反”を理由に損害賠償請求を起こさなければならない。

被害額が何十万円・何百万円であれば、店は訴訟を起こすだろう。

しかし普通の万引きでそんなことをするはずがない。


ただ、私服保安が作成し店に提出した書類には犯人の氏名・住所等が残っている。

そこで、店が犯人に「支払いに来てください。」と催促することはある。

しかし、それ以上のことはしない。

結局は「犯人のダンマリ勝ち」となる。


私の担当店で女性万引きが食品を3万円程度盗ったことがある。

「買い取り・後日支払い」が決まり、店が被害商品を冷蔵・冷凍保管した。

女性は送検されずに一件落着となった。

しかし、いつまでたっても女性は支払いに来なかった。

そして、商品は廃棄された。

その後、女性は何食わぬ顔で店に買い物に来ていた。

これが実態である。


万引きして捕まったら警察官の前で店担当者にこう言えばよい。

『つい魔が差してしまいました。本当に悪いことをしたと反省しています。
   これから刑務所でしっかり反省してきます。

   お店にはご迷惑をお掛けしました。もちろん、商品は買い取らせていただきます。
   いまは持ち合わせがありませんので、あとでお支払いにうかがいます。』

このようにして、「警察官が事件として扱わないこと・事件として扱っても送検しないこと」を狙う。

そして、その目的を達したら“ダンマリ”を決め込む。

一度くらい店から催促されるが放っておけばよい。

“怖いお兄さん”が家にやってくることはない。


しかし、こんな“セコイ騙し”を使うまでもない。

商品を買い取って、翌日返品すれば済む。

店はその商品が返品不能商品でなく、レシートがあれば快く返品・返金をしてくれる。

犯人が買い取って渡されたレシートに「万引き犯人による買い取り」などと書いてないからである。


これらのことを考えて、「万引き犯人に商品を買い取らせない」店もある。

犯人が警察官の前で店担当者にこう言う。

犯『商品はすべて買い取らせてもらいます。』

店担当者はこう答える。

担『当店では“万引きをした人”に買っていただく商品は置いておりません。
     あなたが本当にこの商品を買いたいのなら、“万引き”としてではなく“お客様”としてあらためて来てください。』

こちらの方が万引き犯人には応えるのではないだろうか。


つづく

 





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