SPnet私服保安入門


第六章 大手スーパーマーケットから私服保安が消えた

 




(1)私服保安は「捕まえてなんぼ」、誤認逮捕がなくならない理由


第一章~第五章 で説明したことは、私服保安なら誰でも知っている。

特に、誤認防止のための“棚取り現認・入れる現認・中断のないこと・単品禁止”ば徹底的にたたき込まれている。

この検挙条件を忠実に守っていれば誤認逮捕など起きるはずがない。

しかし、いつまでたっても誤認逮捕が減っていかない。


原因ははっきりしている。

私服保安が検挙条件を知っていても、それを守らないからである。

「知っているけど、していない。」のだ。


なぜなのか?

私服保安社会に“検挙至上主義”がはびこっているからである。


私服保安の仕事を「人に感動を与える仕事」と説明する者がいる。

一般人にはできない“万引き逮捕”をして、周りの者を感動させるからである。

万引き犯人を警備室に連れてくると、常駐警備員・店の従業員・清掃・設備など周りの者が顔を輝かせる。

私服保安にとって彼らの拍手喝采は心地がよい。

プロ野球選手がヒットやホームランを打つのと同じである。


プロ野球選手が打率や本塁打数で評価されるように、私服保安は万引き検挙数で周りの者に評価される。

形のない“万引き抑止・牽制”を積み重ねても評価はされない。

万引き検挙数の少ない私服保安は、周りから白い目で見られ陰口を叩かれてしまう。

売れないセールスマンの心境を味合わされる。


しかし、私服保安には野球選手やセールスマンより有利な点がある。

それは「検挙条件を緩めれば、検挙数を上げることができる」ことである。

そこで、ついつい検挙条件を緩めてしまう。


検挙条件を少し緩めても誤認することはない。

これで成功すると、次には更に緩めてしまう。

そして最後には検挙条件を大きく離れて誤認を起こしてしまうのである。


・これが警備会社の実態


大手スーパーマーケットではその上部団体が年に何回か警備研修会を行う。

仕事を受注している警備会社はこの研修会に参加しなければならない。

ここで、「店内犯罪傾向・警備方針・事件事故報告・要望」などを伝えられ、隊員教育を徹底させられるのだ。


ある地区で「誤認防止のための特別研修会」が開かれたので出席した。

その地区の誤認事故が多発したからである。


主催者が各警備会社に「どのようにして誤認防止のための取り組みをしているか」を聞いた。


ある警備会社が立て板に水を流すようにいろいろ説明して、最後にこう締めくくった。

『我が社の目標は、誤認率10%を切ることです。
   この目標達成のために全社一丸となって取り組んでいます。』

主催者はその警備会社にこうアドバイスした。

『御社の誤認率を0%にすることは簡単ですヨ。それは、保安業務をやめることです。』

場所をわきまえずに“ありのまま”を正直に発言したことは感心するが、「誤認率10%が目標」とは驚きである。


別の地区で定期研修会が開かれた。

ある警備会社が「中高生万引き検挙のデーター分析」を発表した。


私はその資料を見て驚いた。

単品検挙が3件もある。しかもその中の一つは「3人で缶コーヒー1個」であった。

何十社の警備会社の前で発表するのだから、そんなデーターは削ってくるのが普通だろう。

入力ミスに違いない。


私はその警備会社の名誉のために質問した。

『この3件の単品検挙はミスプリントですよねぇ?』

発表者は言葉を詰まらせた。


現場の“検挙至上主義”をなくさなければ、誤認事故はならならない。


(2)『今日から私服保安を排除!』と鶴の一声


ある地区で誤認事故があった。

この誤認で大手スーパーマーケットの本社が遂に噴火した。

「全国各店で、保安業務を私服保安から制服保安に切り換える。」


鶴の一声である。

全国一斉に私服保安は制服警備員のような制服を着なければならなくなった。


忍者が派手な羽織(はおり)袴(はかま)を着せられた。

猫の首に大きな鈴が付けられた。


その日から私服保安の仕事が一変した。

・派手な服装で自分の存在を見せて万引きを牽制する。
・鈴の音を鳴り響かせて万引きを追い散らす。

保安業務は“万引き検挙”から“万引き牽制”になった。


腕利き私服保安が次々と辞めていった。

仕事の内容が変わったからである。

私の育てた私服保安もどんどん辞めていった。

各警備会社は新たに多数の人間を募集し、制服を着せて売場に立たせた。


(3)「捕まえる」から「盗らせない」 もう私服保安は要らない


この「私服保安から制服保安への移行」は時代の流れに沿うものである。

時代は「万引き検挙に頼らない新しい防犯システム」を求めている。


まず、万引き検挙には大きなリスクが伴う。

・検挙至上主義の現場では、誤認防止のための検挙条件が崩されて誤認事故はなくならない。
・「現行犯逮捕という強制力の行使」には、人権侵害の危険を伴う。
・誤認・人権侵害があれば、企業イメージ・ブランドが低下する。


次に、私服保安の万引き検挙では盗難被害を効果的に減少させることができない。

検挙至上主義の私服保安が“小者万引き”を狙うからである。

・捕まえやすいのは“子どもと食品の常習老人万引き”である。
・子どもは手口が幼稚で警戒心がない。
・食品常習老人は毎日来るし動きが鈍い。
・どちらも、逮捕の際に言い訳をしたり反抗したりすることがない。
・彼らの盗る量は少ないが、万引き検挙には変わりがない。

私服保安はついつい彼らを狙ってしまう。

その結果、家電・衣料・化粧品売場の守りがおろそかになり大量・高額盗難が発生する。


さらに、「盗らせて捕まえる」・「餌をばらまいて獲物を待つ」という私服保安のやり方が企業イメージに合わなくなってきた。

大手小売業の目指す売場造りは、「お客様第一、“明るく楽しい、くつろぎの場”を提供する」

そんな売場に「獲物を狙う猟犬が潜んでいる」ことが異質なのである。

「子供部屋に親が盗聴器を仕掛ける」ようなものだ。


このように、大手小売業に私服保安は時代後れなのである。

だから、私服保安に制服を着せて「万引き検挙をできないようにした」のである。

制服保安への移行は私服保安の排除に他ならないのだ。


いま、大手小売業は「現代の企業イメージに合った新しい防犯システム」を創ろうとしている。

機械防犯システムの拡充、売場係員の防犯意識の向上、制服警備員の効果的な配置、警察との連携…。

この中に万引き検挙は含まれていない。

制服保安は“制服を着た私服保安”ではなく“制服警備員”になってしまったのである。


(4)元気よく『いらっしゃいませ!』と万引き抑止


現在、大手スーパーマーケットに私服保安はいない。
※その後何年かして一部店舗で限定的に私服保安を導入した。

売場で制服を着た警備員が『いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。』と言っているのを見かけるだろう。

彼らが制服保安である。


制服保安の仕事は、

・万引きをしそうな者を見つけること。
・その者に制服を見せ、『いらっしゃいませ。』と挨拶すること。これで「盗るのを諦めさせる」のだ。
・それでも盗っていこうとしたら、従来の検挙条件で検挙すること。
・但し、どんなときにも制服を脱いだり制服を隠したりしてはいけない。


制服保安の前で堂々と盗っていく者はいないだろう。

制服保安が立ち去った後で、ゆっくりと盗ればいいからである。

「制服保安の前では盗られないが、その背後で盗られている」ことになる。

羽織袴(はおりはかま)と『いらっしゃいませ!』で万引き被害が減るわけがない。


そんなことは店も充分承知している。

それでも制服保安なのである。

それが企業イメージに合った新しい防犯スタイルだからである。


(5)機械では私服保安の代わりは務まらないが


機械による防犯システムは“手さぐり状態”である。

メーカーがいろいろ工夫して新しい防犯機械を作ってくる。

従来の「商品に取り付けた防犯タグがゲートで鳴り出す」という単純なものではない。

しかし、今のところ“画期的なもの”は作られていない。

いろいろな機械がテスト導入されるが、誤報が多くて使い物にならない。

さらに、機械防犯システムを使うのは人間である。

その要員を確保しておかなければならない。


売場係員の防犯意識向上も進んでいない。

係員のほとんどがパート・アルバイト・派遣労働者である。

彼らに「与えられた業務の他に商品を護ること」を期待するのは無理だろう。


売場長以上は正社員である。

正社員は「店や売場を護る意識」を持っている。

しかし与えられた仕事が多く、それをこなすので精一杯である。


ある店のベビー服売場で、男女二人組に大量のベビー服が盗られた。

防犯カメラで現場を再生すると、売場長とパート従業員三人がその売場に何度も出入りしていた。

犯人たちはその売場で堂々と盗り続けていたのである。


今のところ「私服保安の万引き検挙に勝る防犯システム」は開発されていない。

しかし、近い将来にはそれが可能となるだろう。

私服保安が大手スーパーマーケットに再び現れることはないだろう。


(6)万引き事件が減った! 「捕まえない」のだから当たり前


私服保安から制服保安へ移行したあと全国的に万引き事件が激減した。

県警の防犯担当が私に電話をかけてきた。

警『昨年4月から警察の取り扱う万引き事件が激減しました。万引きが減ったのですか?』


万引き検挙をしないのだから、警察の取り扱う万引き事件が激減するのは当たり前である。

万引きが減ったわけではない。

私は「大手小売業の防犯方針が変わった」ことを説明した。


万引き被害は着実に増加している。

万引きを一人捕まえれば、十人の万引きを防ぐことができる。

一人の万引きを成功させれば、百人の万引きが集まってくる。

私は「検挙に勝る防犯なし」と思っている。

しかし、「私服保安のやり方が時代に合わないものになった」ことも充分承知している。

そして、“時代に即した効果的な防犯システム”が完成されることを期待している。


(7)誤認逮捕・人権侵害が増えた? 「私服保安でない」のだから当たり前


制服保安への移行後、新たな問題が生じた。

「初歩的ミスによる誤認事故・クレーム事案が増えた」のである。


私服保安から制服保安に移行して“経験豊かな私服保安”が警備会社を去った。

制服保安の多くは「万引き検挙経験がないか検挙経験が乏しい者」である。


しかし、彼らには今まで通り“検挙権限”が与えられている。

鉄砲を撃ったことのない者が、弾の入った鉄砲を持ち歩いているのである。

周りは「感動を与えてくれる私服保安」を期待している。
獲物を捕まえてきてくれるのを待っている。

誤射や撃ち急ぎは当然予測されることである。


「私服保安は20人捕まえて独り立ち。100人捕まえて一人前。」と言われている。

そのくらい場数を踏まないと、「冷静に犯行を見て、確実に捕まえ、人権侵害を起こさないように処理する」ことができないのだ。


“素人”に制服を着せて、
『今日からあなたは制服保安です。
   万引きしそうな者を見つけて、「いらっしゃいませ!」と挨拶して犯行を防いでください。
   それでも盗っていこうとしたら捕まえてください。』と言っても無理であろう。

素人には「万引きを見つけること」もできないだろう。


しかし、これは警備会社の責任である。

店は「素人に制服を着せて、制服保安として配置してくれ。」とは言っていない。
「経験充分な者に制服を着せて、制服保安として配置してくれ。」と言っているのである。

その分“割高な単価”を支払っているからだ。


もっとも、これは警備会社にとって少々酷でもある。

制服保安になったことにより、経験豊かな私服保安が警備会社に残っていないからである。

今は、制服保安の“頭数”を揃えるだけで精一杯なのである。

警備会社が制服保安に対して私服保安教育をしていくのはこれからである。

そして「頭数だけ揃えるだけの警備会社」は淘汰(とうた)されていくだろう。


暫くは“万引き天国”になるだろう。

誤認事故も増えていくだろう。

しかし、新しい試みに犠牲は付き物である。

職場を去った私服保安達は、何らかの形で“新しい試み”に参加できることを願っているだろう。


★2020.06.追記


1.一部の店で私服保安が復活


全国チェーンのスーパーマーケットが私服保安を廃してから15年。

その後何年かして一部店舗で限定的に私服保安が復活した。
ただし、それはあくまで臨時的・応急的なもので正式なものではない。

私も別会社である店舗の私服保安を受注して勤務に着いた。
そこはまさに万引き天国。

初めての入店日に常駐警備から渡されたのは万引き容疑者リスト。

そのリストには万引き犯人の特徴,来店時間,盗っていく商品,入退店経路が全て記されていた。
ご丁寧に犯人の顔写真まで。
リストには毎日勤め帰りにネクタイ姿でドンペリを盗っていく(持っていく)者まであった。

こんな楽な万引き検挙はない。
毎回リスト通りに万引きを検挙していった。
※ドンペリ犯人は公務員だったので新聞やテレビで取り上げられた。

リストの万引き犯人を尾行しているときに、ふと隣を見ると別の者が万引きをしている。
そんな状況だった。

その後、独立開業してその店との関係は途切れたので、そのあとの万引き状況がどうなたのか分からない。
しかし、最近になってその店は私服保安を止めたと聞いた。

やはり、本流は「私服保安なし」なのである。


2.昨今の万引き状況


私は今も私服保安として現場に入っている。

そこで感じることは「万引きが減ったこと・万引きが小者化したこと」である。

社会が豊かになったのか、公徳心が向上したのか、窃盗罪に罰金刑が付加されたのが功を奏しているのか、
その原因はわからない。


まず、万引き自体が減少している。

以前は、万引きを探すのに苦労はしなかった。
ちょっと気を入れて店内を歩けばすぐに見つけられた。
しかし、最近では8時間店内を歩き続けても万引きを見つけられないのが当たり前である。


・また、万引きが育たない。

以前は、「あんパン一個」が「店内カゴ一杯」になり「カート一杯」になるまで育った。
しかし、最近では「あんパン一個」はいつまでたっても「あんパン一個」。

大きく盗らないから捕まえにくい。
捕まえても被害金額はたいしたものにはならない。


・さらに万引きが用心深くなった

今残っている万引きは、
・生活に困窮した失業者と老人
・何か盗らなければ気が済まない盗癖のある常習万引き

生活困窮者は昔からの万引きであるが、そんなに居るものではない。
その店で何人が捕まえれば「打ち止め」となる。

最後に残ったのが「盗癖のある常習万引き」。

これは厄介である。

・盗るのは1~2点で小さい商品。盗癖を満たすだけでよい。
・動きが素早いので現認がしにくい。
・一度目を合わせたら二度とはやって来ない。

こんな万引きを捕まえられるはずがない。


このような状況で私服保安の万引き検挙数は激減している。


3.私服保安から制服警備に移行する流れ


今年になって、当地の全国チェーンのスーパーマーケットが私服保安を廃止した。

私が以前所属していたこのスーパーマーケット系列の保安警備会社は当地での私服保安業務から撤退した。

これは、15年前に「私服保安の誤認事故がいつまでたっても減らないので私服保安を廃止した」のとば理由が異なる。

その理由として考えられるのは、
・万引き自体が減って私服保安の検挙が少なくなったこと。
・万引きが小者化して、被害額が小さくなったこと。
・それなら、単価の高い私服保安より単価の安い制服警備員。
・制服警備員ならお客さんに「店内の安全を守っている」とのアピールができる。


当方にも私服保安を導入している全国チェーンのスーパーや地元スーパーから私服保安の打診がある。
しかし、その入店日数は少ないものである。

今度の流れは「私服保安消滅」に至るかもしれない。


もう、私服保安は「万引き検挙」だけで仕事を続けていくことはできない。

「新しい私服保安」を探さなければならない。

その一つは「店の保安係」だろう。
店内犯罪の全てに対応し処理する係である。

服装は私服だが店の者だと分かるもの。スーツに身分証明章着用

仕事は万引き検挙だけでなくクレーマー対応,迷惑行為防止など全ての店内犯罪。

もちろん、このような業務をこなすのにはそれなりの経験が必要である。


現在の私服保安にはこのような「新しい私服保安」を捜してもらいたいものだ。


つづく

 





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