SPnet私服保安入門
Aさんが研修していた頃の話である。
もう3年前のことだ。
入店すると常駐警備員から申し送りがあった。
1.当店の家電売場で、昨日16時すぎにビデオカメラが3台盗られた。犯人像不明。
2.本日、他店で資生堂化粧品が20万円程度盗られた。犯人は複数。
私は「家電と化粧品のどちらを警戒するか?」を決めなければならない。
研修生のAさんと私で手分けすればよいのだが、Aさんを売場に張りつかせたのでは研修の意味がない。
研修生には少しでも多くの万引きを見つけさせなければならないからだ。
家電売場は「昨日の今日」だから、売場係員がピリピリしているだろう。
私は化粧品売場に張りつくことにした。
Aさんには『店内を自由に回って万引きを見つけ、現認したら連絡するように。』と指示した。
・研修生の初めての声かけ
16時すぎ。Aさんから連絡が入る。
A『食品売場。大柄な男。ビールと食品を袋に詰めて店外しそうです。』
私『いまどこにいるの?』
A『食品売場の農産前です。』
農産(野菜・果物)は私のいる化粧品売場の隣だ。
私は通路に出た。
Aさんが私を見つけ、農産と化粧品売場の間にある出入口を指さしている。
私がAさんのところに行く。
私『どの男?』
A『あのレジ袋を持っている男です。』
ちょうどその男が出入口を出ていくところだった。
40歳前で、80㎏超えの脂肪太りである。
右手に緑色のレジ袋、左手に半透明のレジ袋。
男が店外して、近くにある自転車置き場に向かっていく。
私はAさんに確認した。
私『現認したものは?』
A『発泡酒ロング6本入りと寿司3パックです。
クシャクシャの袋が発泡酒、緑色の袋が寿司です。』
私『じゃあ、声かけしてもいいよ。』
A『えっ?』
万引きを検挙する場合、研修生の現認はカウントしない。
彼らの現認はまだ不確かだからだ。
研修生が現認しても、指導私服保安が現認しなければ見送りとなる。
今まで、Aさんの現認のあと私が現認して検挙したのが2件。
Aさんの現認のあと私の現認がなかったので見送ったのが何件かある。
彼女の現認は確かである。
現認した商品も見えている。
私はAさんの現認だけで検挙させることにした。
研修生には少々早いが、いつかは経験させなければならないことである。
Aさんが躊躇している。初めての経験だから無理もない。
男が自転車置き場のバイクに到着した。
私『発泡酒が袋から透けているじゃないか。逃げてしまうぞ。さあ、行って!』
Aさんは出口を出て男に近づいて行った。
私は風除室で待機する。
・応援
男がバイクのシートを開けてレジ袋に入った発泡酒を入れ、シートを閉めた。
Aさんが男に声かけした。
いろいろ言っているようだが、一向に事が進まない。
私は風除室を出てAさんに加勢した。
私『寿司と発泡酒の金を払ってないだろう?見ているンだ!』
男『…。盗っていない!盗っていない!』
男は顔をピクピクと引きつらせる。
私『じゃあ、この袋に入っている寿司はなんだ?』
私は男が手に持っている緑色の袋を指さした。
男は慌ててバイクにまたがり、エンジンをかけた。
私は男の服を掴んだ。
私『チョット待てや!』
男『なんなんや!』
男がまた顔を引きつらせる。
私の大声が響いた。
私『窃盗罪の現行犯逮捕や!
こっちは忙しいンや!こんなチンケな万引きに時間を使われへンのや!
ここへパトカーを呼ぶぞ!ゴチャゴチャ言わンで、おとなしゅうしろや!発泡酒の方も出せ!』
通り過ぎる客が振り向く。
Aさんが頷いている。
男は観念して、バイクのシートを開けて発泡酒を取り出した。
A『今から書類を作ります。保安室へ来てくださいネ』
男は袋二つを両手にさげてAさんと保安室に向かった。
私は二人の後を歩く。
男はバックルーム入口の前でAさんに懇願した。
男『警察はダメや。勘弁してくれ!
金を払ったらええンやろう?頼むから警察は勘弁してくれ!』
A『とにかく、保安室で話をしましょう。』
男は頭を小刻みに痙攣けいれんさせながら、バックルームに入ろうとしない。
私は後から男を急せかした。『早く入れ!』
男がやっとバックルームに入った。
・男の言い訳
保安室で男が愚痴を言い出した。
男『職がないンや。事故をしたばかりなンや。
アパートも追い出されるンや。食べてないンや。 警察だけは勘弁して欲しいンや…。』
私『そんなことは我々では決められない。
店の者がここへ来るから、その人に頼んでみたら?』
Aさんは黙々と書類を書いている。
店担当者が保安室へやって来た。
男は土下座をして頼んだ。
店担当者は『ダメ!警察渡し!』と言って出て行った。
39歳男性・無職。発泡酒6本・鮨3パック・ボイル帆立て1パック。計2746円。
警察官到着。
警察官の一人が男を知っていた。
「以前に扱ったことがあり、身寄りのない生活困窮者」だそうだ。
その警察官が男と話をする。
警『あの後、どうしてたンや?あのときは働いていたじゃないか…。』
男『あの会社は辞めた…。それから車で事故をして…。こんなんや!』
男はシャツの前をはだけて見せた。
右肩から胸にかけて30㎝位の傷跡が生々しく残っていた。
男『もう、なにもかもメチャクチャや…。』
男の所持金は1500円。
発泡酒は売場に戻せても、寿司と帆立ては戻せない。
しかし、寿司と帆立てを買い上げるには不足である。
警察官が私を保安室の外へ呼んで、内緒でこう言った。
警『あの男の懐具合はよく知っている。これ以上金は出ない。何とかならないだろうか…。』
私『店の方に聞いてみましょう。』
結局、「帆立ては廃棄。寿司3パックは買い取り」となった。
そして、男の所持金は175円に。
男が警察官に連れられていくときに、自分を責めるように大声で言った。
男『どうかしてたんや!』
「それなら、寿司を3パックも盗るな!」
・事例56.『このお金は絶対に使えないのです…』
男の件が一段落して、私は化粧品売場に戻った。
Aさんは2件目を探しに2Fへ上がっていった。
19時半。
私は気分転換に食品売場を覗いた。
アイスクリームケースの前でカートを押している女性がいた。
カート上の店内カゴには食品が何点か入っている。
女性がアイスクリームケースの扉を開けて、アイスクリーム3個をカゴの中に投げ込んだ。
ハーゲンダーツLサイズ3個である。
「まったく迷わないのはなぜ?」
私は彼女の監視を始めた。
・現認
女性は惣菜コーナーでヒレカツ1パックをカゴに入れ、カートを押して農産横の紙おむつ通路に入った。
そこは“万引きの仕事場”である。
女性はカートを止めて、商品を半透明のレジ袋に詰めている。
そして、商品を詰めたレジ袋を持ってカートから離れた。
Aさんを呼び寄せる暇はない。
女性が先程の万引き男と同じ出入口から店外した。
私は声をかけた。
女性は骨が浮きでるほど痩やせていた。
私『逃げるなよ!』
女性は蚊の鳴くような声で、『逃げませんよ…。』
私はAさんに、保安室に向かうように連絡した。
・懇願
またまた、保安室で万引き犯人の懇願が始まった。
書類作成はAさんがしている。私は女性の話に付き合った。
女『私は拒食症なンです…。身障者なのです…。
検察庁で「今度やったら刑務所だぞ!」と言われているンです…。
警察には絶対連絡しないでください。』
すぐに店担当者がやって来た。
担『また食品万引きか…。』
女性が「警察は勘弁してください。」を哀願する。
担当者は冷たく突っぱねる。
39歳女性・無職。ヒレカツ等食品9点。計3826円。
担当者と女性で被害商品の処理方法が話し合われる。
担『お金はいくら持っているの?』
女『この通り、2万6千円あります。
でも…、これは月末の支払いに使うお金なンです…。
やっと工面したンです…。絶対に使えないンです。』
担『しかし、このヒレカツと惣菜は売り物にならないから、買ってもらわなければならないよ。
アイスクリームは今なら戻せるけど…。』
女『では、すぐにアイスクリームを冷凍室に入れてください。』
私は警備室前の従業員用冷凍庫にアイスクリームを入れた。
「ヒレカツと惣菜の買い上げ」を渋る女性。
担当者の語調がだんだんきつくなる。
先程の万引きでは「帆立ての廃棄」をすんなりOKしたのだが…。
多分、昨日のビデオカメラ盗難にイライラしているのだろう。
担当者が私に聞いた。
担『山河さん、ヒレカツと惣菜でいくらになるの?』
私『1456円です。』
担当者は女性に言った。
担『2万6千円も持っているのなら、千五百円くらい払えるでしょう?』
女『このお金は絶対に使えないのです…。』
担『じゃあ、月末までどうやって生活していくの?そのお金は使えないンでしょう?』
女『明日、前にやったバイトのお金が入ります。二千円くらいですが…。』
担『それなら、いま二千円使ってもいいでしょう!』
女『でも…、その二千円は…。』
結局、女性はヒレカツと惣菜を買い取って警察官に連れられて行った。
その後、私は警察に呼ばれなかった。
女性は逮捕にならなかったのだろう。
A『今日は“こんなの”ばかりですね…。』
私『世の中にはいろんな人がいるからねぇ…。明日は我が身だよ…。さあ、売場に戻るか!』
つづく