SPnet私服保安入門
・事例60.『お母さんはあなたを許しますよ!』
日曜日・夕方。
中学生くらいの男の子が、玩具売場でトレーディングカードを二掴みバッグに入れた。
以前から「あの男の子はカードを盗っていくのでマークしてほしい。」と売場から依頼のあった男の子だ。
私も一度見送っている。
男の子がスーパーマーケットゾーンを出て、専門店街で母親と合流した。
私は男の子に声かけし、母親に事情を説明した。
母親は男の子にバッグからカードを出させ、彼にこう言った。
母『これは盗ったものじゃないでしょ?
お母さんに「買ってもいいか」見せにきたンでしょう?』
子『…。』
母親が私に説明する。
母『うちの子は悪いことをするような子ではありません。
カードを買うときには、いつも私に見せに来るンです。
今も見せに来たンです。盗ったのではありません!』
私『お母さんの気持ちは分かりますが、店を出てここまで来れば「盗るつもりだった」と判断されてしまうのです。
警察もそのように扱います。』
母親は不満げである。
私『子どもさんに聞いてみましょうか?』
母『どうぞ、どうぞ。』
私は男の子に向かって言った。
私『素直に言わないといけないよ。
このカードを「お母さんに見せに来た」の? それとも「盗ろうと思っていた」の?』
子『…。盗ろうと思っていた…。』
私は母親に言った。
私『お分かりでしょうか?
この年頃の子どもは“ちょっとした出来心”でこんなことをするンですよ。あまり心配しないでください。
お母さんもいらっしゃることだし、年少ですから“警察渡し”にはしません。
子どもさんには保安室で形式的な手続をしてもらいます。
済みましたらご連絡しますので、子どもさんとご一緒にお帰りください。』
母『ちょっと待ってください。あなたは何なンですか?』
私『先程お話しした“スーパーマーケットの保安係”ですが?』
母『それは聞きました。でも、身分証明章を見せてもらっていません。
相手の身分を確認しないで、私の大切な子どもを渡すわけにはいきません!』
身分章の提示を求められたのは初めてである。
しかし、母親の言うことはもっともである。
私は身分章を提示した。
母親はそれを見てもまだ疑っている。
母『これは店が発行している身分章ではないじゃないですか!』
警備員の持っている身分章は警備会社の発行したものである。店名義のものではない。
私『もちろんこれは私の所属する警備会社のものです。
この警備会社が店から仕事を委託されて、私が勤務しているのです。
お疑いなら、店の事務所に証明させましょうか?』
やっと母親が納得した。
母『それじゃあ、私も子どもと一緒に行きます。』
私『ありがとうございます。お母さんもその方がご安心でしょう。』
・保安室で
親が犯人(子ども)についてきた場合、親を犯人から引き離さなければならない。
親が子どもの発言を制止したり、子どもに代わって“言い訳”をしたりする。
子どもは親に気兼ねして本当のことを言わない。
親を一緒にすると事後処理に時間がかかるのである。
私が「男の子だけを保安室に連れて行こうとした」のはそのためである。
この母親は保安室から少し離れた警備員休憩所で待ってもらうことにした。
保安室や休憩所と言っても、警備室内をパーティションで区切っただけである。
そこでの会話は筒抜けになる。
私は男の子を保安室の奥に座らせて事後処理に入った。
男の子が母親のいる方向を見て大きな声で叫んだ。
子『おか~さん!おか~さん!ゴメンね!ゴメンね!おか~さん、ゴメンね!』
これに母親が大声で答える。
母『いいのよ!いいのよ!あなたは何も悪いことはないのよ!
おかあさんは、ちっとも怒っていないからね!』
子『おか~さん!ゴメンね!ゴメンね!』
母『分かっているのよ!初めて盗ったのでしょ!おかあさんは信じているよ!
おかあさんは、あなたを許しますからね!』
私は腹が立ってきた。
そこで、母親に聞こえるように男の子に言った。
私『君ねぇ!「ゴメンね」を言う相手が違うだろうが!「ゴメンね」は店の人に言え!』
母親は黙ってしまった。
私の腹の虫がまだ収まらない。男の子に強く問い質した。
私『今までに、何回盗った?』
子『…。初めて…。』
私『嘘を言うな!何回目だ!』
子『…。4回目…。』
カードは破損していなかったので“売場戻し”となった。
私は「男の子が以前に盗ったこと」を不問にした。
そして、男の子と母親に一筆書かせて一緒に帰ってもらうことにした。
母親は子どもに謝らせることも自分が謝ることもしなかった。
親は子どもを「社会に送り出すために」育てている。
子どもは家族の一員であるが、社会の一員でもある。
家族のルールと社会のルールは同じではない。
「親が子どもに対して持つ感情・評価」と「社会がその構成員に対して持つ感情・評価」は同じではない。
子どもが悪いことをしても、親は許すが社会は許さない。
親は子どもにそれを教えて、社会に送り出さなければならない。
“子どもしか見えない親”に育てられた子どもは“家族しか見えない大人”に育つ。
そして、“家族内での自分”のままで社会に出てくる。
親に護られ何不自由なく育てられた彼らは、「社会でも自分がそう扱われる」と思っている。
辛抱ができない。他人の痛みが分からない。他人に迷惑をかけても何とも思わない。
そんな若者が増えたのは“子どもしか見えない親”に責任があるのではないだろうか?
つづく