SPnet私服保安入門


        
・事例67.『いくらで収めたンですか?』

 




私が新人の頃のことである。

日曜日、ケイタイ売場で「新規お申込。ケイタイ本体1円!」セールをやっていた。


ケイタイ売場を通りかかると大声が聞こえる。

普通、“大声”はクレーム客が出すものである。


案の定、ケイタイ売場のカウンターで男が係員に詰め寄っていた。

男は40歳すぎ。見るからに“おとなしいサラリーマン”ではない。


こんな場合に私服保安がしゃしゃり出てはいけない。

まず事情を知らなければならない。


男が“捨てぜりふ”を残して、ケイタイ売場を出て行った。

売場責任者が困った表情で見送っている。

私は売場責任者に事情を聞いた。


・クレームの原因


その事情とは、

・男は“1円チラシ”を見て、車で1時間以上かかる町からやって来た。
・そして、気に入ったケイタイを1円で手に入れた。
・売場係員が「手続に少々時間がかかります。本日お渡しできますから。」と言った。
・男は「それじゃあ時間をつぶしてくる。」とケイタイ売場を離れた。

・しかし、問題が発生した。
  男の家には固定電話がなかった。

・固定電話がない場合、ケイタイ会社のメインショップで申し込まなければならない。
  この店のケイタイ売場からは申し込めない。

・男は係員に「固定電話のないこと」を告げている。
・係員が“うっかりミス”をしてしまったのだ。

・男がケイタイを引き取りに来た。
・しかし、手続は止まっている。ケイタイを渡せない。
・これに男が怒ったのである。

・男は最後通告をした。
  男『もう30分だけ待つ。もう一度来るからそのときにケイタイを用意しておけ!』
・そして男はケイタイ売場を出て行った。

私が見たのはこの場面だったのだ。


事情を聞けば男が怒るのも無理はない。

男の方に分があるクレームだ。


・総務課長の出番


後30分しかない。

売場責任者は店の総務課長に相談した。


総『何とか手続することはできないの?』

責『それが…。規則でできないようなのです…。』

総『じゃあ、30分後にバトルがあるということ?』

責『そういうことになりますネ…。』

総『カンベンしてよぉ~!こちらは忙しいンだから!』

責『ケイタイ会社に連絡して、何とか手続をお願いしていますから…。』


総務課長から私に連絡が入った。

総『山河さん、クレームだよ!いつもの通りお願いしますネ。』

私『了解です。』


・男は応援を呼んだ


私は総務課長・売場責任者と合流した。

話し合いは専門店街2Fの喫茶店。

総務課長が男を通路から見える席に案内する。


ここで、男が私に気がついた。

人相・雰囲気が“客相手の商売人”ではないからだろう。

男と私はお決まりの言葉を交わした。


男『なんや、お前は!暴力団か!』

私『店が暴力団と関わっているわけがないでしょう。私は“こんな係”なンですよ。』

男『お前は関係ない!あっちへ行け!』

私『そうはいきませんネェ。これが私の仕事ですから。』


総務課長が私に小声でささやいた。

総『山河さん…。テーブルの近くにいてくれればいいから…。』

私は席を立って少し離れた。


男がケイタイを出してダイヤルする。

そして、これ見よがしに大きな声で話をする。

男『おう!俺や!いまなぁ、〇〇ショッピングセンターでトラぶっとるンや。
    何人かこっちへ寄こせ。バイクがあるやろッ!信号無視して突っ走ってこい!』

お決まりの“ハッタリ”である。


しかし、万が一ということがある。

私は喫茶店を出て、エスカレーターの見える位置に移った。

ここからなら男の様子も分かる。

仲間が現れたり男が暴れたりしても対処できる。


売場責任者と総務課長はひたすらペコペコ。

男はそりくり返ってコーヒーを口にする。

私はコーヒーをのみ損ねてしまった。


・30分経過


総務課長が私の方へやって来た。

総『山河さん!大変だ。男の仲間がもう到着したらしい。
    男が「待機していろ。」とケイタイで話をしていたヨ!』

私『そんなのハッタリですよ。あらかじめ仕組んであるンでしょう。』

総『でも、本当に5~6人が乗り込んできたらヤバイよ…。』

私『おもしろいじゃないですか。一応、手は打っておきますから安心してください。』

総『頼むよ…。』


総務課長は席に戻って行った。


私は店長に連絡した。

私『店長、ハッタリでしょうが、男の仲間が待機しているようです。どうします?』

長『仲間がやって来たら警察連絡だ。常駐警備の応援も呼んでおいた方がいいだろう。』

私はスーパーマーケットとショッピングセンターの警備室に連絡した。
そして、見えない所に制服警備員を5名待機させた。


・さらに30分経過


バトルは“堂々巡り”のようだ。

そこへ、ケイタイ会社支社からスーツ姿の二人がやって来た。

車をすっ飛ばして来たのだろう。

二人が愛想よく男に名刺を渡している。


・さらに1時間。


バトルは膠着状態。

新しいことは「男がスパゲティを食べた」こと。

エスカレーターを上がってきた不審者は、「スーパーマーケットに出入り禁止となった半額シール貼り」の男だけ。

半額シール男は私を見てそそくさと逃げて行った。


・そして30分経過。

やっとバトルが終わったようだ。

ケイタイ会社支社の二人が男とにこやかに握手をしている。

なんと、開始から2時間半である。

男はニコニコして帰って行った。


・決着の内容


私は総務課長に尋ねた。


私『男は満足していましたネ。いくらで収めたンですか?』

総『山河さん。聞いてヨ!腹が立ってしょうがない!』

私『3万円くらいですか?』

総『腹が立って言えないよ!』

私『いくらなンですか?』


総『男が要求したのはネ!』

私『何なンですか?』

総『男が要求したのは、「1円機種より機種を一段階上げること」なンだよ!』

私『ハハハ。それなら100円くらいですね。』

総『俺の仕事を何だと思っているンだ!2時間半も仕事を止められたンだヨ!


男は2時間半をかけて“コーヒー・スパゲティ・一段階上の機種のケイタイ”を得たのである。


事務所に報告書を持っていくと、店長が私に言った。

長『山河君、ご苦労さんだったね。総務課長からいきさつを聞いたよ。』

私『まったく、とんだ小者でしたヨ。』


店『それにしてもバイクで駆けつけた応援の男たちはどうしたンだろうネ。』

私『到着していませんよ。原付のスピード違反でパトカーに捕まったンでしょう。』


つづく

 





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