SPnet私服保安入門


         
・警備員を相手にした金品目的クレーマー

 




金品目的クレーマーが警備員をネタにすることがある。

・制服警備員が客の前を歩いただけで「俺をつけ回した」。
・私服保安と目が合っただけで、「俺を万引き扱いした」。


警備員がクレームの対象になった場合、私服保安の対処法は「店へのクレーム」の場合とまったく異なる。


必要なのはクレーマーの矛先(ほこさき)を店から外してしまわなければならない。

  店に「これは警備会社の問題ですから、そちらで解決してください。」と突っぱねてもらう。
  私服保安は「る警備員が起こした問題ですから、その警備員を雇っている警備会社がお話しをうかがいます。」と持っていく。
  そして、クレーマーと警備会社の問題にしてしまうのだ。


店を相手にされたのでは問題が大きくなる。

クレーマーと警備会社の問題なら、店の看板に傷はつかない。


クレーマーは、手っとり早い警備会社を相手にしてくる。

相場は1万円~3万円。それと菓子折り。

「二度目はない」のだから、警備会社も“名刺代わり”である。


この警備会社の在職中にあった“私服保安に対するクレーム”は二件。


一つは私の担当店以外でのクレーム。

警察OBが対処して金で解決した。

クレーマーに“名刺代わり”を渡したのだ。


もう一つは、私の担当店でのことだった。

私は金で解決しなかった。


・事例68.『この女性には“前歴”があるンです!』


この事例は私服保安の不用意な発言が問題となったものである。
相手の「やり方」が違法なものだったので「引き分け」に持ち込めたが、
相手の「やり方」が適法なものであれば「警備員側のKO負け」になっていただろう。
警備員を教育する者はこの事例を役立ててもらいたい。


・クレームの原因


新人男性私服保安が検挙歴のある女性を監視していた。

女性がこの新人私服保安に文句を言ってきた。

監視しているのが私ではないからだ。


そこへ、女性の“顔見知り男性”がやって来た。

女性はこの男性に新人私服保安を指さしてこう言った。

女『この男、ストーカーなの!助けて!


新人私服保安は慌ててその男性に言った。

保『私はストーカーなんかではありません。私は私服警備員です。この女性には“前歴”があるンです!


彼は警備員として「言ってはならない」ことを言ってしまった。

それが事実でも、女性の人権を侵害することになる。

この新人私服保安は刑法の名誉棄損罪が問題となるようなことを言ってしまったのだ。
参考.名誉棄損罪の成立について

これが犯罪にならなくても、女性が人権侵害で損害賠償を訴えたら“女性の完全勝利”である。

当然、女性はこれを問題にした。


・警察への相談


私は別の店に入っていた。

新人私服保安から私に連絡が入る。

女性は私をよく知っている。

私は「明日改めて話をしよう。」と女性を鎮(しずめ)た。


翌日、女性が男を連れて店に乗り込んできた。

男『アイツを出せ。アイツと話をつける。山河さんあんたは外れてくれ。』

私は「女性と男が店を相手にするつもりがない」ことを知って安心した。


私は二人に、「後日、あの新人私服保安を交えて当社の営業所で相談しよう。」と持ちかけた。

二人はこれに納得して引き揚げた。


私はすぐに上司に報告し、警察の刑事課に相談に行った。

刑事課のアドバイスは、「要求額を言わせること。それを証拠として録音すること。」

私は時間設定をして二人を営業所に呼んだ。

こちらは私と上司と問題の新人私服保安、そしてテープレコーダー。


二人が現れた。そして言いたい放題したい放題。

新人私服保安はこの二人にビビリまくっていた。

私は「この新人には私服保安としての資質がないな」と思った。


・警察が動く


二人がやっと“具体的な要求額”を言った。

私は「会社と相談するから、2~3日待ってほしい。」と持ちかけた。

二人はそれに納得して引き揚げた。


翌日、私はテープを持って刑事課に行った。

ベテラン刑事は「これなら持っていける」。

警察は“恐喝未遂”で二人の逮捕状を請求した。


私は問題の新人私服保安を雲隠れさせ、逮捕状の執行を待った。

男が毎日のように店にやって来て、その新人私服保安を捜している。

女性は店に「警備会社の答えはどうなったのか?」と毎晩電話してくる。

私はそれを何とか引き延ばす。


・1週間が経った。


その日も女性から電話が入った。

私はいつも通りに引き延ばす。

女性が最後に言った。

女『山河さん…。あんた“絵”を描いたな…。』

翌朝、パトカーが彼女のアパートを取り囲んだ。


二人は逮捕され送検された。

しかし不起訴となった。


理由は、
「新人私服保安に非があること。テープを聞くと、山河さんと上司がまったく怖がっていないこと。」

それでも二人は半月以上勾留された。


その後、男は店に姿を見せなくなった。

女性は度々現れた。

我々は女性を万引きで捕まえて“出入り禁止”にした。

新人私服保安は“自分の資質のなさ”を悟って辞めていった。


・クレーマーさんへの助言


この事例では「女性:新人私服保安=100:0」で完全に女性の勝ちであり、どう考えても新人私服保安の負けである。

しかし、女性は「喧嘩のしかた」を間違ったのだ。

女性のしなければならなかったのは
・この新人私服保安を名誉毀損で警察に刑事告訴する。
・この新人私服保安と警備会社を相手取って損害賠償の民事訴訟を起こす。
※警備会社は警備業者損害賠償責任保険に入っているので、警備員の責めによる損害賠償を請求されても自分の腹は痛まない。
※刑事告訴を取り下げることで民事上の損害賠償を和解にできる。

このような、正式な手続でやれば、この私服保安の刑事責任を追及できたであろうし、相応の賠償金を手に入れられただろう。

それは彼女の正当な権利である。
彼女はこの新人私服保安に名誉を傷つけられたからだ。


力と力のぶつかり合いでは力の強い方が勝つ。
これでは弱者の正義が守られない。
喧嘩には公正なルールが必要であり、そのルールが法律である。
法律は「正しい弱者」を勝たせ、「正しくない強者」を退けて正義を実現する。


金品目的のクレーマーさんは「脅し」ではなく「法律というルール」で「その要求」をしなければならない。
文句をつける前に法律に詳しい者に相談した方がよいだろう。

この事例では、私が「文句を付けられた新人私服保安」の側でなければ、違った展開になっていたかもしれない。

       
※参考


・この私服保安の発言と名誉棄損罪



・刑法230条(名誉棄損)
「  公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、
    その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。

  2.死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。」

・刑法230条の2(公共の利害に関する場合の特例)
「  前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、
    事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

  2.前項の規定の適用については、
    公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。

  3.前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、
    事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」


①公然
・「不特定または多数人が認識しうる場合」とするのが多数説
・判例には「伝播して不特定多数車が認識しうる可能性を含む場合にも公然性が認められる」とするものがある。
(大判大8.4.18)

・この私服保安の発言は、女性の知り合い男性だけになされたものであるので、「公然」と言えるかどうかは争われるだろう。

②事実の「摘示」
・「摘示」とは「特定人の名誉が害されると認められる程度に具体的であることが必要だが、
  その事実が時期,場所,手段なとにわたって精密に特定されることは必要でない。※参考2

・単に「前歴がある」という発言が「この女性の名誉が害されると認められる程度に具体的」かどうかは問題となる。


③故意
・自分の行為が、他人の社会的評価を低下させることの認識・認容で足り、名誉棄損の目的を必要としない。
・この私服保安の発言は「女性が痴漢だと言った」ことへの反論であるが、
  「自分が警備員であること・女性に前歴があること」を告げれば、
  「女性の社会的評価がを低下させることの認識・認容があった」と判断されるだろう。


④230条の2/2項
・公訴前の犯罪行為を公表することにより捜査機関に犯罪捜査のきっかけを与えたり、捜査が怠けられたりするのを防ぐための規定。
・あおり運転をする者のドライブレコーダー映像を放映するのがこれに該る。
・その目的が「もっぱら公益を図ることにあった」と認められれば、それが真実であれば名誉棄損罪は成立しない。
・公訴が提起されていないとは、捜査に着手していないもの、捜査中のもの、検察官が不起訴にしたものなど
  公訴提起の可能であるものを含むが、
  時効・恩赦,執行猶予・刑の確定(※執行猶予と刑の確定は筆者加筆)など、公訴提起の可能性のないものは含まない。

・この私服保安の「前歴がある」の前歴とは、女性が以前に万引きとして捕まったことを言っているのだが、
  あのときは、警察渡しになったあと「警察での調書作成はなかった」し、
  女性も日を置かずに来店したので多分「警察逮捕」とばならず、送検も公訴提起もなかったと思われる。
  この点から言えば、この私服保安の「前歴があるンです」の発言は、「公共の利害に関する事実」となる。
  しかし、その発言動機・目的が「専ら公益を図ることにあったと認める場合」だと認められるかどうかは問題となる。


以上から、この私服保安の発言が名誉棄損罪に該るとは断言できない。

もちろん、これは名誉棄損罪が成立するかどうかの問題で、
民事上の損害賠償請求が認められるかどうかは別問題である。
また、侮辱罪(刑法231条)の成立は別に検討される。

※参考 : 大塚仁著・刑法概説(各論)/有斐閣・昭和54年12月10日発刊・増補版初版第三刷/117頁~129頁
※参考2 : 注釈刑法(5)-各則(3)/有斐閣・昭和51年3月30日発刊・再販第9刷/350頁~351頁・福田平執筆部分


・警備業法15条との関係

・警備業法15条
「警備業者及び警備員は、警備業務を行うに当たつては、
  この法律により特別に権限を与えられているものでないことに留意するとともに、
  他人の権利及び自由を侵害し、又は個人若しくは団体の正当な活動に干渉してはならない。」

この私服保安の発言が名誉棄損罪や侮辱罪に該らないとしても、警備業法15条に引っかかる。
しかし、これに引っかかったとしても罰則はない。
そのような事案があれば公安委員会が「問題を起こした警備員を配置から外すこと・再教育をすること」を指示できるだけである。
※警備業法48条。


・労働契約・警備業務委託契約の守秘義務違反


警備員を雇用するときは「法定の誓約書」とは別に「守秘義務条項の入った誓約書」を提出させる。
また、警備業務委託契約では「警備員の守秘義務条項」が必ず入っている。

この私服保安の発言はこれらの守秘義務条項に反するが、
それは「この私服保安と警備会社」、「警備会社と店」の関係であり「この女性とこの私服保安」の関係ではない。
警備会社がこの私服保安に対して懲戒を行ったり、店が警備会社に契約解除をしたりすることはあるが、
この女性がこの私服保安に責任を問う根拠とはならない。


つづく

 





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