SPnet私服保安入門


        
・事例70.餃子(ぎょうざ)三個事件

 




最後に豪気な店長に登場していただこう。


この店長は、私が新人私服保安として担当店に配属されたときに他店から移ってこられた。

それから店長が転勤するまでの四年余り、私はこの店長の下で私服保安としていろいろな経験をさせてもらった。

毎日がワクワクの連続であった。


所属していた警備会社を辞めたあと、久しぶりに担当店の常駐警備員に会った。

彼が私に言った。

『山河さん!あの頃はみんな輝いていましたね。毎日が楽しみでしたよ!』


それでは餃子三個事件を始めよう。


・マネキンさんと“試食喰い”


店には商品販売会社から派遣されてくる推奨販売員がいる。

食品売り場で、
「いらっしゃいませ。新製品です。いかがですかぁ~。」と試食を勧めている人たちである。

“マネキンさん”と呼ばれている。


日曜日ともなれば食品売り場のあちらこちらに試食ブースができる。

マネキンさんが買い物客に試食を勧める。


この試食だけを目当てにしている者がいる。

売場を一巡すれば小腹がふくれる。何巡もすれば腹一杯になる。

“マイ楊枝(ようじ)”持参の者もいる。

彼らは“試食喰い”と呼ばれている。


“試食喰い”が試食をどれだけ食べても“マネキンさん”に損はない。

しかし、試食を準備するたびにやって来て、全部食べていかれたのでは他の客に食べてもらえない。

まったく買う気のない者に試食されることにも腹が立つ。

“マネキンさん”と“試食喰い”の間でトラブルが起こることがある。


・クレームの原因


日曜日の夕方前であった。

食品売り場は家族連れで賑(にぎ)わっていた。


惣菜コーナーの方で大声がする。

「またクレーマーか…。」

私は大声の方に向った。


白衣を着た食品売場mgrが一人の客に頭を下げている。

客は50歳前で、眼鏡をかけた神経質そうな男だ。


私は男の斜め後ろに付いて二人の話を聞いた。


事情が分かった。


・男が餃子の試食コーナーで餃子を三個食べた。
・マネキンさんが「そんなに食べたら困ります。」と言った。
・この言葉に男が腹を立てたのだ。


私は少し離れた所にいる“餃子のマネキンさん”に確認した。


私『あの客が食べたのは三個なの?』

マ『三個どころか、焼いてある餃子を片っ端から食べたンですよ!
     それで、私は「他のお客さんもいるので、困ります。」と言っただけなのに…。』

やれやれ、食べたいだけ食べさせてやればいいのに。
それだけ「おいしい餃子だ」ということなのだから。


・『上を呼べ!』


男が声を荒らげた。

男『試食は何個まで許されるンだ!どこにもそんな貼り紙がしてないぞ!』

食品mgrは頭を下げ続けるが、自分の仕事の方が気にかかる。


男がお決まりの言葉を出した。

男『お前では話にならん!上を呼べ!』


食品mgrはニンマリした。

「しめた、これでこの男から解放される。」


通常、クレーマー担当は総務課長である。

その日は総務課長が休みだった。

総務課長の次にクレーマーを担当するのは副店長である。


食品mgrは『では、副店長を呼びます。』と答えた。

食品mgrは副店長にバトンタッチ、自分は足どり軽く仕事に戻って行った。


副店長は温和な物腰の柔らかい男性である。※事例47


男が副店長をいじめにかかる。


小売業としての社会的責任、客と店との関係、店の取るべき態度、試食制度のあり方…。

副店長は揉み手をしながら、ひたすら男の気持ちを鎮めようとする。

買い物客が顔を見合わせて通りすぎていく。

マネキンさんは知らぬ顔で餃子を焼いている。


・ついつい本音をもらしてしまった


だんだん副店長が疲れてきた。

男の話が何巡かして「試食は何個までなンだ!」になったとき、副店長はつい口を滑らしてしまった。

副『何個までとは決まっていませんが…。“常識の範囲”というものがありますので…。


この言葉に男がさらに怒りだした。

男『なんだぁ~?俺は常識がないのか!餃子三個が非常識なンだな!』

副店長は「しまった!」と我に返った。


副『いやいや…。三個が非常識というのではありません。ただ…、一般的なことを言っただけです…。』

男『わかった、わかった!俺は非常識な人間なンだ!
     試食で餃子三個を食べるような非常識な人間なンだ!』

こうなると“駄々っ子”と同じである。


男は財布から千円札を二枚取り出し、大声で叫んだ。

男『餃子一個は常識の範囲だな!俺が食べたのは餃子三個だ!
     二個分を払えば文句はないな!これが餃子二個の代金だ!』

男は床に千円札二枚を投げ捨て、大股で歩き始めた。


副店長がお札を拾って男に追いすがる。

副『お客さん、こんなことをされては困ります。こんなお金を受け取ることはできません。』

男は副店長の手を振り払って、正面出入口から出て行く。

副店長はなんとか男にお金を返そうとする。

男は駐車場の車に乗り込み、車を発車させた。

副店長はお札を持ったまま駐車場に取り残された。


私は男の車のナンバーをメモしながら、副店長に尋ねた。

私『どうするンですか?その二千円。』

副『取り敢えず預かっておきましょう。またやって来るでしょうから…。』


・「試食は一個限りです」という貼り紙を出せ!


副店長の予想通りだった。

翌日、男が店にやって来た。


この店では特定の曜日にクーポン券を出す。

そのクーポン券を集めると店の商品券がもらえる。

男は集めたクーポン券を持って、サービスカウンターに商品券と交換に来たのだ。


もちろん、それは男の口実である。

男の目的は「店をもっといじめる」ことなのだ。


男はサービスカウンターで副店長を呼ばせた。

「アイツは昨日の二千円の処分に困っているだろう。来ないわけにはいかないだろう。」と考えているのだ。


副店長から私に連絡が入る。

私は所定の位置に待機した。


男はサービスカウンターの椅子に座って、商品券引換え用紙に“自分の住所・氏名”を書いていた。

副店長がサービスカウンターにやって来た。

男は副店長をチラッと見ながら、サービスカウンター嬢から五百円の商品券二枚を受け取った。


副店長が“昨日の二千円札”を返そうとする。

男は受け取らない。

男『その二千円はなぁ~、非常識な俺が食った餃子二個の代金だ!
     お前は「餃子の試食は一個が常識の範囲内だ」と言ったンだぞ!』

男のいじめが始まった。


副店長は「そういう意味で言ったのではありません。」を繰り返す。

男は調子に乗って声を荒らげる。

副店長はひたすら謝る。


男がさらに調子に乗って、とんでもない要求を持ち出した。

男『その二千円は問題ではないンだ!
     「試食は一個限りです」という貼り紙がないことが問題なンだ!
     すぐに貼り紙を出せ!


店がそんな貼り紙を出せるわけがない。男はそれを承知で言っているのだ。

男の攻めに副店長は後手に回ってしまった。


男がお決まりの言葉を出した。

男『お前じゃ話にならん。店長を出せ!』


副店長もお決まりの防御線を張る。

副『あいにく店長は不在でして…。』

男『嘘を言うな!店長を出せ!店長を出すまで俺はここを動かないゾ!』


こうなったら店長に出てもらうしかない。

しかし、副店長もただでは引き下がらない。


副『分かりました。この二千円を受け取っていただいたら店長を出します。』

男は店長に謝らせることを選んだ。


男『おう!店長を出すなら二千円は受け取ってやる!』

男が二千円を受け取った。


・店長登場


店長が登場する。


長『店長の○○です。お客様のことは副店長からうかがっております。
     お客様には大変ご迷惑をおかけしました。
     私どもの不手際でお気を悪くさせましたことをお詫びいたします。』

男は「自分の予定通りに事が運んでいる」ことにニンマリとする。


男が店長をいじめにかかった。

男『聞いているンなら話は早い。
     「試食は一個限りです」という注意書きを今すぐ貼り出せ!』

長『そんなことはできません。』


男は机を叩いて大声を出した。

男『それなら、この一件をどう処理するンだ!』


店長は静かに言った。

長『それは、あなたに来店してもらわないことです。』


男は予測外のことを言われて面食らった。

男『なにっ!それが客に向かって言う言葉か!俺は客だぞ!』


店長は毅然(きぜん)としてこう答えた。

長『あなたは“お客様”ではありません!
     いま、あなたは他のお客様を不快にしているじゃありませんか!
     そんなあなたは当店の客ではありません。
     今後、あなたを“出入り禁止”にします!』


男の完敗だ。

男は“せめてもの反抗”をするしかない。

男『わかった!わかった!俺は、全国のこの店には入れないンだな!
     それなら、こんな商品券なんか必要ない!』

男は五百円の商品券二枚を床に叩きつけて、大股で歩き始めた。


店長は商品券を拾って男に追いすがった?

そんなに世間は甘くない。柳の下にいつもドジョウがいるわけではない。

店長は男の背中に軽く会釈をしただけだった。


私は男を尾行した。

男が商品を蹴り飛ばせば即逮捕である。

しかし、男はそのまま正面玄関から出て行った。


私は男を見送って、店長に報告に行った。

長『山河君ごくろうさん。男はあの後どうだった?』

私『あの男、泣いていましたよ!』

長『ハ、ハ、ハ。それは嘘だろう。』


私『ところで店長、その商品券二枚はどうするンですか?』

長『あの男はサービスカウンターで住所・氏名を書いているから、送り返してやるさ。もう来ないだろうから。』


店長の予想通り、その男は二度と店にやって来なかった。

何事も調子に乗りすぎると、元も子もなくしてしまうのだ。


つづく

 





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