整備資料序章-三台のオートバイ
・2011.02.26 久しぶりにオートバイのエンジンをかけました。
私は趣味人間です。
あくせく働くことが嫌いな怠け者です。
自営が長くサラリーマン生活など学校出立ての1年間だけ。
それが、10年間もサラリーマンをやっていました。
これは周りの者には驚異的なことなのです。
特に、最後の警備会社では1年と9カ月働きづめでした。
タップリ運動して体のメンテをする。趣味を充分にやって心のメンテをする。
そんな今までの生活がまったくできない1年9カ月でした。
60歳になったのを機に退職して独立することにしました。
そして、2月22日から退職日までの6日間「代休」をとりました。
「有休」ではありません、「日曜出勤の代休」です。
「有休を取らなかった」のは今までいろいろなことを修得する場を与えてくれた会社へせめてものお礼です。
もう、隊員が足らないことで気を病む必要はありません。
本社からのメチャクチャな動員を喧嘩腰で断らなくても済みます。
隊員に対するクレームも関係ありません。
営業方針・隊員の待遇について憤る必要もありません。
徐々に今までの自分に戻りつつあります。
私はオートバイ好きで、中学では父親のバイクにこっそりと乗っていました。
16際になって自動二輪免許をとりCB93に乗っていました。
高3のときそのCBで車と衝突。
受験勉強そっちのけでCBを全部ばらし新しいフレームに載せ変えました。
法律の勉強に挫折した35歳の頃にオートバイに復帰しました。
750からオフロードに転向。
当時は金回りがよかったので、モトクロッサーを何台も持っていました。
長男もKX65からRM80を与え、休みのたびにコースへ出かけていました。
自営業が火の車になって、オートバイは全部現金に変えオートバイを降りました。
自営をやめ警備業界に入ったころにはすっかりとオートバイを忘れていました。
一昨年の秋、急にオートバイが欲しくなり部品取りのRMX250・混合仕樣を手に入れました。
仕事が忙しかったので「手に入れただけ」で修理することも動かすこともなくガレージに放り込んでありました。
2カ月後の年末、急に大型バイクに乗ってみたくなりFJ1200を手に入れました。
それから1年半、FJに乗ったのは3回だけ。
退職して暇になったので、RMXのメンテを始めました。
なんと、エンジンが生きているではないですか!
キャブ清掃もやらず、新品のエアクリーナーを付け、新しい混合油を入れたら走り出しました。
走ったといってもアスファルトの上、ダートではありません。
高回転で吹け止まりがあります。
キャブ調整が必要でしょう。
しかし、モトクロッサーでないけれど2サイクル250は 60歳には荷が重すぎます。
ダートに持ち込んだらふりまわされるでしょうネ。
モタードにすればなんとか乗れるでしょうが。
残念ながらこのバイクには書類がありません。
なんとか公道を走れるようにするつもりです。
※2019.09追記 : 現在こうなっています。 → こちら
では、次のバイクです。
このバイクを知っている人はいますか?
『NSR250でしょう!』
お兄さん、なかなかのバイク好きですね。
絶版名車の「2サイクル・レーサーレプリカ」の NSR250-MC21 です。
長男が高校時代に乗っていたものです。
たしか、いとこ(私の甥)の友達から5万円くらいで譲ってもらたとのこと。
外装は悪いけれどレースに使っていたものではなく走行距離も少なめ。
長男は家を出て独立し私の元へは顔を出しません。
5年くらい前に私がメンテをして時々走らせていました。軽くフロントが浮き上がります。
それからガレージに入れっぱなし。
タイヤ・チェーン・スプロケ交換要。
キャブのオーバーフローはフロートの張りつき。キャブをドライバーの柄でコンコンしたら治りました。
ガソリンコックからの漏れあり。
今後は「動態保管」として時々メンテしていこうと思っています。
※2019.9追記 : 動態保管のため一年間に一度、50㎞程度しかのりません。現在はこうなっています。 → こちら
※2023.7追記:PGM修理,センターシール損傷後ラビリ組付け,バーハンドル化,ステアリングダンパー取り付けでこうなりました. → こちら
ではもう一台。
今のところすぐに走り出せるバイクです。
20年前の名車 FJ1200です。
逆車ではなく100馬力規制のかかった国内車です。
この後に出た水冷4発・750FZの陰にかくれていた空冷・4発1200です。
いわゆるビッグツアラーです。
しかし、重い・重い・重い…。
ガレージから出すのに一苦労。
暖かくなってきたからツーリングに行きたいものです。
※2019.9追記 : ユーザー車検を5回通しました。現在、バーハンドルのフルパワー・130 PS です。→→→こちら
つづく。