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第5講.窃盗罪 -万引きの既遂時期と「店外10m」-
万引きに対処する私服保安にとって窃盗罪の理解は不可欠である。
特に、「店外10m原則」で、窃盗罪の開始時期・完成時期が間違って解釈されている。
これを間違うと現行犯逮捕が違法逮捕となる危険がある。
今回は、「万引き行為の開始時期と完成時期」と「なぜ、店外10mで声かけするか?」、
そして、「商品置き去りについて何ができるのか?」を「未遂犯と中止犯」の点から説明する。
・万引き行為の着手時期-住居侵入窃盗と万引きとの違い
・万引き行為の既遂時期-「店外10m」ではない
・「店外10m」は「窃盗故意」を証明するための事実
・未遂犯と中止犯の違い
・商品を置き去りにしていく者に対して何ができるのか
【Ⅲ】 窃盗罪・強盗罪・事後強盗罪 -万引きでも無期懲役・死刑になる場合がある。万引き諸氏必読!-
万引きに対処する私服保安にとって窃盗罪の理解は不可欠である。
特に、「店外10m原則」で窃盗罪の開始時期・完成時期が間違って解釈されている。
これを間違うと現行犯逮捕が違法逮捕となる危険がある。
また、万引き犯人が抵抗したり逃げるときに他人を突き飛ばしたりすると窃盗罪ではなく強盗罪となってしまう。
その結果として誰かが怪我をしたり死んだりすると、強盗致死傷罪となり「その法定刑は無期懲役か死刑」である。
盗罪・事後強盗罪の部分は私服保安だけでなく万引き犯人の方も充分理解しておいてもらいたい。
1.窃盗罪
「万引きは窃盗罪」は誰でも知っている。
※刑法235条
「他人の財物を窃取したる者は窃盗の罪となし10年以下の懲役または50万円以下の罰金に処す。」
※刑法243条
「第235条の未遂罪はこれを罰す。」(刑法243条)
a.窃盗行為の開始(実行の着手) -万引きの開始はいつか?-
犯罪はいったん開始されたら、途中で自発的に止めても結果が発生しなくても犯罪となる。
※自発的に止めた場合 → 中止犯。結果が発生しなかった場合 → 未遂犯。
また、現行犯逮捕は犯罪が開始されたら行うことができる。
「いつ犯罪が開始されたか」は犯罪を行う者にとっても現行犯逮捕をする者にとっても重要なことである。
犯罪(犯罪行為)の開始を“実行の着手”という。
一般に、窃盗行為の開始は「その財物についての占有を侵害する行為が開始されたとき」とされている。
“占有”とは“事実上の支配”である。
つまり、「物に対する他人の事実上の支配が犯人によって侵害され始めたとき」が窃盗行為の開始時期となる。
ここではスーパーマーケットでの窃盗(万引き)について実行の着手時期を説明する。
イ.住居侵入窃盗の場合の実行の着手時期
Aの家に侵入して、Aの時計を盗む場合を考えよう。
・①.Aの家に入る。
・②.Aの部屋に入る。
・③.その部屋で、Aの時計を捜す。
・④.机に置いてあるAの時計を見つける。
・⑤.その時計を手にとる。
・⑥.その時計をポケットに入れる。
・⑦.Aの部屋を出る。
・⑧.Aの家を出る。
①~⑧で「時計に対するAの事実上の支配が、犯人によって侵害され始めた」のはどれだろうか?
⑤ か ⑥ と思うだろう。
しかし、判例・通説は ③ なのである。
“窃盗行為の開始”は「目的物を捜し始めたとき」である。
「目的物の置いてある場所に入った」だけでは開始されていない。
しかし、目的物に手を触れなくても「開始された」とされる。
犯人がAの時計を捜し始めたが時計を見つけることができずに盗れなかった。
犯人は窃盗行為を開始しているから窃盗未遂罪となる。
スリが他人のポケットから財布を盗む場合ならどうなるか?
「財布を捜し始めたとき」だから、ポケットに手を入れようとして「ポケットの外側に手を触れたとき」になる。
※財布を持っているかどうかを調べるために手を触れる行為(アタリ)は実行の着手ではない。
ロ.スーパーマーケット万引きの場合の実行の着手時期
では、スーパーマーケットの売場で時計を万引きする場合はどうだろうか?
・①.時計を盗もうと店に入る。
・②.時計売り場に入る。
・③.時計売り場で盗ろうとしている時計を捜す。
・④.その時計を見つける。
・⑤.その時計を手にとる。
・⑥.その時計をポケットに入れる。
・⑦.時計売り場を出る。
・⑧.店を出る。
実行の着手時期を住居侵入窃盗と同じに考えれば「時計を捜し始めた」 ③ となる。
しかし、「他人の家に忍び込んで時計を盗む」場合と、「店の営業時間内に時計を万引きする」場合を同じに考えることはできない。
店の中は多数の客が行き来する公共の場である。
また、「客が商品を売場のレジに持っていって支払う」というシステムをとり、各売り場にレジカウンターがある。
さらに、売場の中には接客する係員がいる。
このような点から、「売場にある商品に対する店の支配」は、「個人の家の中にある物に対する個人の支配」より強くなっている。
だから、「商品に対する店の事実上の支配が侵害され始めたとき」は住居侵入窃盗の場合よりも遅れることになる。
⑤とするのが妥当であろう。
万引きの開始は「万引き犯人が商品を手に取ったとき」となるだろう。
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b.窃盗行為の完成(既遂時期) -万引きの完成はいつか?-
犯罪行為を開始しても完成するまでに止めれば、中止犯・未遂犯となり刑が軽くなる。
しかし、犯罪行為が完成してしまえばもう後には退けない。
また、犯罪が完成したあと時間が経ったり場所が離れたりすると現行犯逮捕ができなくなる。
犯罪の完成時期を“既遂時期”という。
窃盗行為の完成時期(既遂時期)は、「目的物に対する他人の事実上の支配を排除して、自己の事実上の支配に移したとき」とされている。
「目的物を安全な場所に持ち去った」ことまでは必要ない。
上例で「目的物を自分の事実上の支配下に置いたとき」とは ① ~ ⑧ のどれだろう。
住居侵入窃盗もスーパーマーケット万引きも同じで、⑥の「目的物をポケットに入れたとき」とされている。
家や店から出たときではない。
万引きの完成時期は次のようになる。
・商品を服の下に隠す。
・ポケットやバッグに入れる。
・試着室で着込む。
・店内カゴから別の袋に入れる。
・商品を手に持ったまま、店内カゴに入れたまま、「本来代金の清算をすべき売場」から別の売場に移る。
万引きは「エレベーターに乗ったりスーパーマーケットゾーンから出たりしたら」、完全に完成してしまう。
万引きは「店外10m」で初めて完成するのではないのである。
c.「店外10m」と「万引き行為の開始・完成」との関係
「万引きは店外10mで完成する」と思っていないだろうか?
私服保安が万引き犯人に声かけをし現行犯逮捕するのは店外10mである。
これは「スーパーマーケットの代金清算システム」の中で、犯人の窃盗故意を立証するためである。[※第三章-Ⅰ-(1)]
“店外10m”は犯人の窃盗故意を立証するための事実にすぎず、「万引き行為の開始・完成」とは関係ないのである。
店外10mという事実によって「犯人は“盗るつもり”で行動していた」と判定される。
つまり、犯人が商品を持って店外し10m進めば、
「犯人が商品を手に取ったとき・商品をポケットに入れたとき・手に持ったまま本来清算するべき売場から別の売場に移ったときに、“盗るつもり”があった」と判定されるのである。
店外10mという事実がなければ、「犯人は“盗るつもり”で行動してはいなかった」と判定される。
この場合は、
「犯人が商品を手に取ったとき・商品をポケットに入れたとき・手に持ったまま本来清算するべき売場から別の売場に移ったときにも“盗るつもり”がなかった。」と判定されるのである。
「“盗るつもり”がなかった」と判定されれば、“窃盗行為の開始”も“窃盗行為の完成”もないことになる。
私服保安が万引き犯人に声かけする場合は三つある。
・店の商品・私服保安の施設管理権に対する正当防衛(権利が侵害される直前)。
・私服保安の施設管理権に対する自救行為(権利が侵害された直後)。
・現行犯逮捕の開始(実行の着手~既遂後暫くの間)。
それぞれ「いつ、何ができるか」が異なっている。
これに、「犯人の窃盗故意立証のための店外10m」が加わる。
私服保安社会では、これらがゴチャゴチャになっている。
そして、何がなんだか分からないままで「店外10mで声かけ」が家訓のように引き継がれている。
現行犯逮捕ができるのは犯罪完成後の一定時間内・一定距離内である。
万引きの完成時期を誤解していると、違法逮捕をしてしまうことになる。
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d.未遂犯・中止犯 -「できなかった」と「するのをやめた」は違う-
※刑法43条(未遂犯・中止犯)
「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。」
※刑法44条(未遂罪)
「未遂を罰する場合は、各本条で定める。」
イ.未遂犯と中止犯の違い
犯罪行為が開始されたのにそれが完成されなかった場合には二つある。
未遂犯と中止犯である。
未遂犯と中止犯では刑罰が異なる。
“未遂犯”とは「しようとした」のに「できなかった」場合。
“中止犯”とは「できた」のに「しなかった」場合。
「できなかった」と「しなかった」では“悪さの程度”が異なる。
未遂犯は「刑罰を軽くしてもいいし、軽くしなくてもいい」。
中止犯は「刑罰を軽くするか、免除しなければならい」。
もちろん、刑罰が免除されても有罪であることには変わりがない。
ロ.「しなかった」と「できなかった」
「しなかった」とは「犯人の完全な自由意思でやめた」こと。
しかし、「こんなことをしてはだめだ」という「自己の犯罪行為を不可とする感情」までは必要ない。
たとえば、
・「私服保安に見つかったみたいだからやめた」場合は「できなかった」で未遂犯。
・「今度にしようと思ってやめた」・「黒猫を見たので、縁起が悪いと思ってやめた」場合は、「しなかった」で中止犯。
判例は「中止した原因が、経験則上犯罪の遂行を妨げるものであれば未遂犯、妨げるものでなければ中止犯。」としている。
結局、社会常識上「できたのに、自発的にやめた」場合が中止犯となる。
ハ.中止犯・未遂犯は犯罪メニューになければ犯罪ではない・刑法44条
すべての犯罪に未遂犯があるのではない。
未遂が犯罪となるのは「○○条の未遂はこれを罰する」と定められている場合だけである。
たとえば、公務執行妨害罪・犯人隠匿罪,証拠隠滅罪,公然猥褻罪、猥褻物頒布罪,遺棄罪,保護責任者遺棄罪(子捨て・老人捨て),
逮捕監禁罪,脅迫罪,名誉棄損罪,侮辱罪,業務妨害罪,横領罪,器物損壊罪 などには未遂罪が定められていない。
これらの犯罪行為を開始しても完成しなければ犯罪とはならない。
“未遂”が犯罪にならなければ“中止”も犯罪とはならない。
※刑法43条は未遂犯の但書として中止犯を規定している。これは、中止犯は未遂犯が成立すること前提にしているからである。
未遂犯が犯罪とならないのなら中止犯も犯罪とはならない。]
“チン出し常習男”が客の前でズボンのジッパーを下げた場合、公然猥褻罪の開始である。
しかし公然猥褻罪に未遂罪がないので、この段階では男は犯罪を行っていない。
犯罪を行っていない者を現行犯逮捕することはできない。
この男を現行犯逮捕するには、男が“モノ”を出すまで待たなければならない。
もちろん、私服保安の施設管理権に対する正当防衛として『お客さん!見せびらかしたい気持ちは分かりますが、家に帰ってからやってください。』と制止することはできる。
但し、「制止することができる」とは「私服保安が男を制止したことが強要罪にならない」というだけである。
当然、男は『猥褻犯人扱いされた』と店に文句を言ってくるだろう。
やはり、待った方がよいだろう。
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ニ.商品置き去り -商品を置き去りにしていく者に対して何ができるか?-
食品を店内カゴに入れたまま食品売場に置き去りにする行為である。
食品売場で置き去りにされた商品をよく見かける。
ここでは“商品置き去り”と未遂犯・中止犯との関係を説明しよう。
(二つのタイプ)
“商品置き去り”には二つのタイプがある。
・①.万引きするのを止めた場合。
万引き犯人が商品を店内カゴやカートに載せて“カゴ抜け”しようとした。
しかし私服保安の尾行に気づいたので、商品の入った店内カゴやカートを売場に置き去りにした。
・②.欲求不満解消のためにする場合。
食品売場で「商品が満載されて置き去りにしてあるカート」を見たことはないだろうか。
「相撲部屋のチャンコの材料か?」と思うくらいの食材が「これでもか」とギッシリ詰めてある。
これは、「盗ろうとして止めた」のではない。
「商品を詰めること」によって自分の不満を解消させているのである。
① の場合も ② の場合も、店にとっては損害となる。
置き去りにされた食品のほとんどは廃棄しなければならない。
何とか現行犯逮捕できないだろうか?
(現行犯逮捕)
・①.万引き犯人が商品を置き去りにした場合。
・商品を手に取って店内カゴやカートに積んだ時点で「窃盗行為の開始あり」。
・商品を袋に詰め替えたりバッグに入れたりしていないから「窃盗行為は完成していない」。
・窃盗行為が開始されているから未遂犯・中止犯が問題となる。
私服保安の尾行に気づいて置き去りにしたのなら「窃盗未遂」。
「やっぱり止めよう」と思って置き去りにしたのなら「窃盗中止」。
・窃盗罪には未遂罪・中止罪がある。
・現行犯逮捕は犯罪行為が開始されれば行える。
だから、置き去りにして売場を離れていく万引き犯人を窃盗未遂・窃盗中止罪で現行犯逮捕するのは違法ではない。
問題は「窃盗故意の立証」である。
・普通の万引き犯人は、「商品を店外10mまで持ち出した」ことで「窃盗故意」が立証できる。
・商品を置き去りにした万引き犯人は商品を持っていない。
・商品を置き去りにした万引き犯人が、「万引きを止めようと思って置き去りにした」のか「買うのを止めようと思って置き去りにした」のかを外部的事実で判断することができない。
・犯人が自白しなければ「盗るつもりで商品をカートやカゴに入れたこと」を立証できない。
・窃盗故意が立証できなければ犯人は無罪となる。
私服保安の現行犯逮捕は適法であり私服保安は刑事責任を負わされない。
※現行犯逮捕には「犯人に故意があったかどうか」は関係ない。-第八章-Ⅳ-(1)-(ロ)]
しかし、無罪となった犯人が店に文句をつけてくる。
私服保安は犯人の自白がなくても犯人を完全に有罪にできる場合にしか現行犯逮捕を行うべきではない。
・②.「盗るつもりはないが、自分の不満を解消するために」置き去りにした場合
置き去りにした者が「置き去りにした商品を廃棄させよう・廃棄になっても構わない」と思っていたなら、器物損壊罪・偽計による業務妨害罪が問題となる。
※刑法261条(器物損壊等)
「他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。」
※刑法233条(信用毀損及び業務妨害)
「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用いて、人の信用を毀損し、又はその業務を妨害した者は、三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。」
偽物損壊罪の“損壊”とは「物の本来の効用失わせる行為」も含む。
業務妨害罪の“妨害”とは「業務の経営を阻害する一切の行為」で、現実に妨害の結果が発生したことは必要ない。
食品の置き去りは、置き去りにした時点で“損壊”・“妨害”行為が完成するだろう。
少なくとも、置き去りにした者が店外して帰ろうとすれば器物損壊罪・業務妨害罪は完成するだろう。
置き去りにした者が店外すれば、器物損壊罪・業務妨害罪の既遂犯として現行犯逮捕するのは違法ではない。
しかし、ここでも「損壊・妨害故意の立証」が問題となる。
その者はこう言うだろう。
・『えっ?“買うつもり”がなくなったら、商品を元の所に戻さなければならなかったの?そんなこと売場のどこにも書いてないよ!』
・『えっ?一旦商品棚から出した生ものは捨てるの?もったいないじゃない!それを知っていたら元に戻したのに!
「捨てさせるつもり・業務を妨害するつもり」なんてまったくなかったよ!』
これで終わりである。
その者の自白がない以上、「損壊・妨害故意」を立証する事実がないのである。
私服保安は現行犯逮捕をするべきではない。
(対処法)
「店の商品・私服保安の施設管理権」に対する正当防衛・自救行為として、次のような声かけをするのが精一杯となる。
・『お客さん!あんなことをしてもらっては困ります。』
・『食品売場に置き去りにした商品を一時保管しておきましょうか?』
しかし、私服保安がこんなことを言ったら、『俺を万引き扱いした・犯罪人扱いした。』と文句を付けられる。
結局、私服保安は“商品置き去り”にアンタッチャブルである。
つづく。
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